2015年01月06日

トリノ アスベスト判決9

            トリノ アスベスト判決 9

先回は、トリノ地裁判決を少しみてみたが、実は同じような裁判が日本でもあり、まさに公訴時効が争われた。それは熊本県水俣の水俣病のケースだった。

1988年(昭和63年)2月29日最高裁判所第2小法廷は、要旨「刑事訴訟法253条1項にいう犯罪行為には刑法各本条所定の結果も含まれる」とする判決を出した。
この事件は水俣病という日本の歴史に残る最大級の公害に関するもので、企業責任者の刑事責任を認めた最初の判決である。

被告人は2人で、1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)まで新日本窒素肥料株式会社の代表取締役にあった者と、1957年(昭和32年)から1960年(昭和35年)まで同社の水俣工場の工場長の職にあった者である。また被害としては7人の死傷者に関して問題とされた。
 同社の熊本県の水俣工場では、かねてより工場廃水を水俣湾に排出していたが、この湾の魚介類を食べていた周辺住民のあいだに原因不明の病気が発生し、1956年(昭和31年)5月にはいわゆる「水俣病」として社会問題になっていた。
 1958年(昭和33年)7月には厚生省の調査によって工場廃水の中に水俣病の原因物質が含まれていることが判明し、それは被告人らの認識するところとなった。従って本来被告人らにはこの工場廃水を水俣湾に排出しない措置を取るべき業務上の注意義務を負うことになった。しかしながら被告人らはこの注意義務を怠り、1958年(昭和33年)9月から1960年(昭和35年)6月頃まで漫然と工場廃水を排出し続けたのである。この工場ではアセトアルデヒド製造工程において発生した塩化メチル水銀が工場廃水に含まれており、このような工場廃水が水俣湾に流出することにより同湾の魚介類が塩化メチル水銀に汚染され蓄積され、これを食べた住民に水俣病が発症した。その主な症状は中毒性中枢神経疾患であり、四肢末端などの感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害、言語障害、振戦などがあるとされている。
水俣病は英語で「Minamata Disease」と呼ばれ、公害の原点として、特に水銀汚染による公害として世界に知られている。水俣病による被害者数は数万人と言われており、発生からすでに60年以上経った現在でも解決していない。

 この2人が1976年(昭和51年)5月に刑法211条の業務上過失致死傷罪で起訴された。本条は「業務上必要なる注意を怠り、よって人を死傷に至らしめたる」行為に関するものであるが、「業務」とは「人が社会生活を維持する上で、反復継続して従事する仕事」をさすと言われている。なお、同じ「業務上」という概念であっても、労働基準法75条にいう「業務上」は労働者の労働に関係する概念なので若干意味を異にする。
 その後、1979年(昭和54年)3月には熊本地方裁判所で判決がだされ、1982年(昭和57年)9月には福岡高等裁判所で判決がだされ、さらに上告されたため、1988年(昭和63年)2月に最高裁判所の判決となったものである。
この訴訟ではいろいろな論点があるが、公訴時効に絞ってみてみる。

 起訴は1976年(昭和51年)だったが、このときすでに7人のうち6人が死亡していた。具体的には、6人のうち4人が1959年(昭和34年)に死亡し、1人は1971年(昭和46年)に、もう1人は1973年(昭和48年)に死亡していた。ところでこの訴訟では犯罪の実行行為が1960年(昭和35年)までだったことから、現行の刑法211条ではなく、1968年(昭和43年)に改定される前の旧法の「3年以下の禁固または1000円以下の罰金に処する」の規定が適用されたため、公訴時効期間は3年とされていた。

第1審の熊本地方裁判所は、公訴時効の起算点について「これを実行行為の終了時とすると解すると、未遂犯を処罰する規定のない場合の結果犯については、結果が発生しないうちに公訴時効が完成してしまって、公訴の提起ができない場合が生じることになり不合理な結果を招くことになる」とした。2人の被告人について犯罪行為の実行行為の終了は昭和35年8月から3年を経過した昭和38年8月に時効が完成するところ、7人の被害者のうち昭和35年までに死亡したり傷害(胎児性障害)をもった5名については消滅時効が完成したものとして免訴をおこない、昭和46年、昭和48年に死亡した2人について禁固2年執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。これに対し被告人両名は控訴したが、福岡高等裁判所は控訴棄却した。

被告人らが上告したため最高裁判所に係属したが、最高裁判決は、特に1960年(昭和35年)8月に胎児性障害をもって出生し、1973年(昭和48年)6月に死亡した被害者Gにつき、このように述べた。
「確かに出生から死亡までの間に12年9ヶ月という長年月が経過している。しかし公訴時効の起算点に関する刑訴法253条1項にいう『犯罪行為』とは、刑法各本条所定の結果を含む趣旨と解するのが相当であるから、Gを被害者とする業務上過失致死罪の公訴時効は当該犯罪の終了時であるGの死亡の時点から進行を開始するのであって、出生時に同人を被害者とする業務上過失傷害罪が成立したか否か、そして、その後の同罪の公訴時効期間が経過したか否かは、前記業務上過失致死罪の公訴時効完成の有無を判定するにあたっては、格別の意義を有しないものというべきである。従って、G死亡の時点から起算して公訴時効期間が満了する前の1976年(昭和51年)5月4日に公訴が提起されている本件業務上過失致死罪につき、その公訴時効の完成を否定した原判断の結論は正当である」として熊本地方裁判所の結論を認めた。
 なお、本件では、公訴時効についての論点以外に憲法37条1項の「すべて刑事事件においては、被告人は裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」という規定に違反しているか否かも争点となったが、最高裁は「本件公訴提起が事件発生から相当の長年月を経過した後になされていることは被告人弁護人の指摘のとおりであるが、本件が複雑な過程を経て発生した未曾有の公害事犯であって、事案の解明に格別な困難があったこと等の特殊事情に照らすと、いまだ公訴提起の遅延が著しいとまでは認められない」との意見を述べた。今や、生活のすみずみに至る迄、私達の知らない化学物質が入り込んでいる。現在、原因不明といわれる難病は数多くあるが、これらの原因物質などが科学的に解明されるためには、長年月がかかるのかもしれない。

余談であるが、熊本地裁判決の判決文に「イタリア」という言葉があったのに気がついた。「日本窒素肥料株式会社は、1921年(大正10年)12月にはイタリアのカザレー式アンモニア合成法の特許実施権を買収し、宮崎県延岡工場において合成アンモニアの工業化に成功し、1925年(大正14年)には水俣にも同法による合成アンモニア及び硫安工場を建設し、カザレー式による低コストのアンモニア、硫安を製造し、硫安業界に確固たる地位を築くようになった」とある。イタリアは古くから工業先進国でもあったのだ。なお、宮崎県延岡市にある旭化成の工場敷地内には「カザレー式アンモニア合成塔」が展示されているという。

2015年1月16日 弁護士 渥 美 玲 子

posted by 金山総合法律事務所 at 14:15| イタリアの風

トリノ アスベスト判決 8

            トリノ アスベスト判決 8

2012年2月のトリノ地裁判決では、刑法第434条と刑法第437条の2つについて消滅時効を認めなかったが、できる限り、その理由を見てみたい。

ところで前提問題として消滅時効に関するイタリア刑法をみてみよう。
時効期間について、刑法157条で「時効は、法律で定められた刑罰の最高刑に合致する期間に対応して犯罪行為を消滅させる。そして刑法犯に対しては6年以下の期間、犯則及び罰金刑に対しては4年以下の期間に対応する」としている。今回、最高裁の検察官が12年間で時効消滅したと判断したのは、刑法434条2項の最高刑が禁固刑12年だったからだと推測できる。
 ちなみに、日本の刑事法では、時効には「刑の時効」と「公訴の時効」の2種類があり、「刑の時効」は刑法第31条で「刑の言い渡しを受けた者は時効によってその執行の免除を受ける」と規定されており、他方「公訴の時効」については刑事訴訟法第250条で「公訴時効の期間」という標題の下で規定されているから、上記のイタリア刑法157条の時効とは、日本で言えば、公訴時効を指すと解釈することができよう。同じような規定が日本では刑事訴訟法に規定され、イタリアでは刑法で規定されているが、この違いは無視できないかもしれない。
さらに時効の起算点については、イタリア刑法158条1項で「時効の終期は、既遂犯においては既遂になった日から始まり、未遂犯においてはその犯罪行為が終了した日から始まり、継続犯については継続行為が終了した日から始まる」と規定されている。他方、日本の刑事訴訟法第253条では、公訴時効の起算点について、「時効は犯罪行為が終わった時から進行する」という規定になっている。

さてトリノ地裁判決では、まず先に、業務上の災害や事故を予防義務違反に関する第437条について検討されている。
判決は、本条の第1項「業務上の災害や事故を予防するための施設や機械あるいは標識を設置することを怠り、それらを撤去し、もしくはそれらの使用目的を損なうような行為をした者は6ヶ月以上5年の禁固に処する」という規定ではなく、第2項「以上の事実によって災害あるいは事故を引き起こした場合は、3年から10年の禁固に処する」という規定について検討しているが、結論としては、消滅時効は完成しておらず、よって被告人は2項に定めた刑に処せられるとした。その理由の一部分をみると次のようである。

「437条第2項に規定されている問題の罪は自立性、独立性を有しており、時効は完成していないと考えている。それは発生した事実を確認したときから進行するとすべきであり、行為が行われた時から進行するためすでに時効は完成しているという反対の意見があったとしてもである。しかし当裁判所にとっての以上のような問題は、正しくない。それどころか、(以上の事実によって災害あるいは事故を引き起こしたという第2項に規定されている)加重事実の確認は、刑法158条第1項にかかる罪についての時効が完成する目的において無視されるべきではなく、437条2項について考えれられるこのケースにおいて結論を述べるためには、同条第1項にで規定された罪についての諸事情を考慮しなければならないので、時効の完成の計算は、被告人の立場役割に対して不利な結果をもたらす筈である。」とした。
 そして、「当裁判所は、437条2項には罪としては独立していると考え、それ故、時効完成の計算の終期については、様々な罪を消滅するに必要な時間が検討されなければならない。」とした。
さらに判決は不治の病や潜伏期間の長い疾病に関する裁判例について検討した後、「実際、このような従来の型にはないケース、つまり行為が遂行された後に長期間経過してのちに事件が確認されるというケースがありうることは、1930年の立法者にとっては、予想できなかった。」として条文の解釈について、柔軟な態度を示した。
「あるケースにおいて、さらに罪状の重いことを確認した時に、特にいくつかの疾病に関して、その罪がすでに時効で消滅していたということが、我々には実際あり得る。例えば悪性胸膜中皮腫は石綿粉じんに暴露されてから数十年という期間後に明らかになる。そして、その疾病が病理学によって成り立ったとき、刑法第437条に規定された罪は常に時効に掛かるという結論になるだろうことに気がつくであろう。」と述べた。

次に第434条について見てみよう。この条文は公共の安全に損害を与えることに関する規定であるようだ。
 もう一度条文を見てみよう。
「先の条項から予想されたケース以外で、建造物の一部もしくは全部の倒壊や、その他の災害を引き起こす行為を直接におこなった者で、この事実によって公共通信施設に対して危険を生じさせた場合は、1年から5年の禁固刑に処する。以上の事実によって建造物倒壊あるいは、それにより災害を起こした場合は、3年から12年の禁固刑に処する。」

判決では、まずこの条文の第1項にある「その他の災害」について、「立法者は、大虐殺、火事、洪水、山崩れあるいは雪崩、遭難、飛行機事故、鉄道事故、更に、運送・発電所・ガスの施設や公共通信施設などの安全に対する侵害などについて規定したばかりでなく、これら災害についての危険、まだ命名されていない危険についてもその処罰可能性を強調したのだ。」としている。つまり、この「その他の災害」は条文には具体的には書かれていなくて明確な形になってはいないが、そのようなものを含むと解釈した。

さらに「検察官は、最高裁判所の2007年の4675号判決によって評価されたことからヒントを得て、犯罪行為の事実よりも、犯罪者の行為を重視した。未だに継続しているが故に、罪は未だ完成したとは評価することはできないと考えている。」と検察官の意見を紹介した。その上で、「何回か引用されている最高裁判所の二つの災害類型を明確にしたマルゲラ港の石油化学に関する判決についてである。つまり建物の倒壊のように瞬間的に生じる災害と、非常に長い期間をかけて進展する災害、例えば不特定多数の人が生活環境及び労働環境において発がん性物質に曝露されたままでいるというような災害の二つの類型である。」といたうえ、この判決には「2番目の類型のケースにおいては災害についての罪は継続するという本質を有する、それ故、災害という事実が継続している間は時効は進行しない。しかし当然のことながら、災害の事実が犯罪者の継続する行為の効果が発生するための時間において継続しているという条件が必要である。それ故、刑法158条第1項のために、時効の終期は継続犯については、継続する行為が終了した日から時効は進行するのであって、このような終期は災害という事実が犯罪者の行為の効果のために継続している間は進行しない。」とした。

ところで、引用したトリノ地裁判決が引用したポルトマルゲラ訴訟にあるマルゲラ港は、ヴェネツィア島の陸側にある工場地帯で、おそらく石油コンビナートかと思われるが、ここには、たくさんの石油備蓄のタンクがあり、石油精製工場が立ち並んでいる。そのためベネタ湾の水質汚染や地盤沈下の元凶ともされている場所でもある。

以上、トリノ地裁は、刑法第437条及び刑法第434条について、いずれも犯罪行為自体は終了しても犯罪行為の結果が確認されるまでは時効は進行しないという結論を出したのである。

弁護士 渥 美 玲 子
   
posted by 金山総合法律事務所 at 14:11| イタリアの風