2017年04月10日

トヨタ自動車 〜その2 トヨタシステム〜

トヨタ自動車 〜その2 トヨタシステム〜

愛知県で生まれ愛知県で生活していると、トヨタ自動車に限らず、関連子会社、下請け会社に働いている人と知り合うことが多い。

私の手元には「大企業黒書」という冊子がある。1981年(昭和56年)に「職場の自由と民主主義を守る愛知連絡会議」が発行したもので、愛知県下の大企業、新日鉄、東レ、三菱重工、中部電力、住友軽金属、大隈鉄工、日本碍子(ガイシ)など各職場の労働実態を明らかにしている。

 そのトップ記事はトヨタ自動車工業の労働者が書いた「『カンバン方式』が生み出した労働強化と労働災害」である。
1980年と言えば、トヨタの自動車輸出が100万台を越え、まさに日米貿易摩擦が深刻化した時である。
このころ職場では「現在の人員で最大の効果を発揮する体制作りが強調され、超過密労働をトヨタ自工従業員はもとより、関連企業の労働者下請中小企業に押しつけた」という。数字上でみれば、1976年から1980年までの5年間で、売上高は65.9%、生産台数は31.9%の増加があったものの、従業員数はわずか5.8%しか増えていない。つまり労働者1人当たりの生産台数は55.4台から69台に増え、売上げ高も1人当たり4400万円から7000万円に上がったという。この数値から労働強化が加速されたことが十分に分かる。当時あまりにもトヨタの働かせ方がひどいと全国的に評判になったため、地方の採用面接会場には応募者がなかったという。
1981年会社は「有給休暇の取得向上」という運動を提唱したが、その内実は、「計画的な有休取得運動」であって、「少ない人員で工場の稼働をさせようと思うと、事前に人員を把握しておかなければならない。つまり当日朝突然休む人をどうしても減らす必要があることから考え出されたものであって、決して有休を取りやすくしたものではなかった」と記事には書いてある。そしてその結果、有休取得率は増えることはなく、事前計画率のみ向上したそうである。
また増産のために愛知県に田原工場を新設したが、1980年6月から1981年5月までの間に豊田市の工場から90名近い労働者が田原工場に転出をした。しかし、従来の工場では人員補充が16名新人採用でしかなかったので、労働強化がひどくなったという。このように人員削減をしても補充をしないというのがトヨタの労務管理だった。 また工場のラインのスピードについては、ある職場では、作業者の動きをストップウォッチで時間計測するという方法をとるが、その際、動作の速い労働者の時間に合わせるようにラインのスピードを標準化し、作業基準書を作成した。結局、他の労働者は動作の一番早い人の時間に合わせることを強制され、労働強化となったという。このようにラインは1秒単位で早くなったので、労働者は仕事中トイレにいく時間的余裕も奪われた。

「大企業黒書」にはもうひとつ「豊田自動織機」の労働者が書いた記事がある。豊田自動織機は、トヨタ自動車の前身として1926年(大正15)に設立された会社であり、現在のトヨタ自動車の筆頭関連会社であり、本来の織機機械の生産の他、トヨタ自動車の組み立て、エンジン、カーエアコン、自動車電子部品など自動車関連製品の生産を行っている。本社は愛知県刈谷市豊田町にある。
トヨタのカンバン方式を採用しているが、トヨタ自工の下請けとして自動車を生産している工場の労働者は、「織機のラインで働く方が自工のラインよりもきつい」と言い、職制も「トヨタ自工から仕事をもらっているんだから自工よりもラインが遅かったら、儲からない」と言っていたそうである。例えば、1975年には1台当たり7分のラインのスピードが、1979年には1台当たり3分30秒と早くなったという。このようにラインのスピードを早くしたため、この4年間で生産台数が4倍になった。
このような労働強化によって腰痛とか頸肩腕症候群、振動病などの労働災害が増加した。この記事には腰痛に罹患した男性労働者が、会社に対して療養補償給付請求書(いわゆる労災申請書)を渡したところ、会社はその男性に対して「業務起因性はない」という書面や、「労災であると主張することは、会社と従業員の関係において誠に遺憾に思う」と書いた書面を渡したという、労災申請書は、会社が労働者から渡された場合には、そのまま労働基準監督署に提出しなければならないにもかかわらず、これを放置したどころか、労働者の請求する権利を妨害し侵害したのである。このように職場では多くの労働災害が発生しているにもかかわらず、このような会社の対応による職場の雰囲気により、労働者は労災申請することすらできない状況にあったという。

このように見てくると、トヨタが1980年以降、自動車販売台数が世界2位になり、さらにその後世界1位になった理由が分かるような気がする。まさに少数の労働者をギリギリまで低賃金で働かせたことによって生産台数を増やした結果なのであろう。

トヨタ自動車やその関連企業での職場の実態、そしてその根幹となった「トヨタシステム」というトヨタでの生産管理システムや労働管理システムについては、猿田正樹教授が、例えば1995年(平成7年)発行の「トヨタシステムと労務管理」(税務経理協会)などに詳しいので、そちらを参照して下さい。
弁護士 渥美玲子
(続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 15:08| 重要判決