2017年04月27日

トヨタ自動車 〜その7 女性〜

トヨタ自動車 〜その7 女性〜

トヨタ自動車と言えば「男の会社」とつい思ってしまう。

トヨタ自動車のサイトの役員の欄をみると、取締役・監査役、執行役員として約65人の役員がいるが、女性は監査役として1人いるだけであって、あとは全員男性である。
いうまでもなく監査役は、企業の経営方針などに携わることはないから、経営陣のメンバーとは言い難いであろう。また執行役員というのは会社法上の取締役ではなく、従業員ではあるが役員待遇を受けて決定した重要事項を実行する責任者という意味である。にもかかわらず女性は執行役員にもなっていない。

労働者関連のデータをみると、2015年(平成27年)においては、全労働者数7万2779人のうち女性はわずか8196人であり、残りの6万4583人は男性だった。労働者の女性割合は11%ということである。同年の採用状況についてみると、全採用者数2185人のうち、女性は215人であるのに対し、男性は1970人である。つまり女性の採用比率は9%である。なお、そのうち女性は主に事務職として採用されており、女性は42人、男性61人となっている。
また同年の女性管理職の割合についてもトヨタ自動車は公表しているが、主任以上は3.7%、主幹以上が1.4%としている。ちなみに主幹とか主任というのは、専門職名で、下から「主任」、「主幹」「主査」「理事」と4つあり、これを管理職に当てはめると主任はグループ長相当、主幹は室長相当、主査は部長相当だそうである。「主査」の女性割合が記載されていないので、このことは主査の女性が不存在であることを意味していると思われる。なお「理事」という管理職が、従業員の最高職である執行役員を指すのかどうかも私には不明である。

ところで政府は「男女共同参画基本計画における成果目標」という方針を掲げているが、2016年(平成28年)5月に発表された第4次目標のうち民間企業に関する目標は次のとおりだった。
  係長相当職 2020年(平成32年)までに25%
課長相当職 2020年(平成32年)までに15%
部長相当職 2020年(平成32年)までに10%
上場企業役員に占める女性の割合
         2020年(平成32年)までに5%(早期)、更に10%
このような政府の目標との比較において、トヨタ自動車では、具体的にどの管理職が該当するのか私には不明であるから、間違いを覚悟で単純に、係長相当職を「主任」、課長相当職を「主幹」、部長相当職を「主査」と当てはめてみた。
 すると、トヨタでは次のとおりになる。
 係長相当職=主任 2015年 3.7% (2020年目標25%)
課長相当職=主幹 2015年 1.4% (2020年目標15%)
部長相当職=主査 2015年   0% (2020年目標10%)
上場企業役員に占める女性の割合
            2015年   0% (2020年目標5%)

トヨタ自動車において女性の昇進・登用が政府の目標値に達するのは、いつのことになるのか、まったく予想することすらできない。

ところで、トヨタ自動車では女性の役員や幹部は輩出されないのではないかと、私は内心思っている。
実は2006年(平成18年)4月に愛知県三河湾にある蒲郡市に、海陽学園という中高一貫校が設立された。通常私立学校といえば高い教育理念のもった教育者が設立することが多いが、この学校はトヨタ自動車、東海旅客鉄道、中部電力など中部財界のトップの企業が設立していることが大きな特徴である。つまり教育理念よりも企業理念が最優先とされてる学校なのである。
 この学園の特色は、「6年間の全寮制により次世代のリーダーの育成、将来の日本を牽引する人材の育成するために、リーダーシップを発揮する上で欠かせない社会性や道徳心を養うこと」だという。
 一見、素晴らしいことのように思えるが、この学校は男性に限る、いわゆる男子校であって、女性は排除される。要するに女性は将来の日本を牽引するリーダーとは、まったく想定していないことは明らかである。
またある情報によれば、海陽学園に入るための入学金や入寮費は60万円、年間の学費は約240万円、在学中の食費約40万円などがかかり、1年間で約300万円、6年間で1800万円が必要だというから、よほどの富裕層でなければ子どもを海陽学園に入学させることなどできるはずもない。
 従って、富裕層の家庭の男子が入学することになる。
トヨタ自動車のイメージする日本のリーダーというのは、つまるところ富裕層出身男性ということであるから、その限界は自ずと分かるし、ましてや今後女性の役員や幹部が輩出されるはずはないだろうと予想することも簡単である。
以 上
posted by 金山総合法律事務所 at 12:41| 重要判決

トヨタ自動車 〜その6 期間工〜

トヨタ自動車 〜その6 期間工〜


近年、労働者における非正規雇用の割合が高くなったと言われているが、厚生労働省の発表によれば、平成28年おいては役員を除く雇用者全体の37.5%になった。人数としては、全労働者のうち正規雇用者数3355万人に対し、非正規雇用者数は2016万人だという。

 トヨタ自動車にもいわゆる非正規雇用労働者がおり、「期間工」と呼ばれている。昭和38年に「期間工」(季節労働者)として採用されるようになったという。

期間工は、トヨタ自動車に直接雇用されているが、その雇用形態は募集要項でみると次のようになっている。
  基本日給  9800円〜10600円
勤務時間  連続2交替勤務(1日7時間35分)
      基本となる勤務形態(1直、2直を1週間毎に交替)
     1直(5日)6:25〜15:05
     2直(5日)16:00〜0:40
    業務の都合により残業、休日出勤あり。
      他に、連続3交替勤務、常昼勤務あり。
休日  原則週休2日制(土・日曜日)
契約期間更新 初回契約 3ヶ月
  1回目更新3ヶ月
  2回目〜5回目更新 6ヶ月
  6回目更新 5ヶ月(連続2年11ヶ月)
会社の判断基準
       @ 契約期間満了日以降の会社の生産見通し、その他業務量、
                A 本人の勤務成績、勤務態度、能力、健康・体力
@とAを会社が総合的に考慮して更新が必要と判断した限り、契約を        更新する場合があります。

 以上を分かりやすくすると、1ヶ月4週として20日働くことになるので、賃金は単純に日給1万円として計算すると月20万円である。ここから健康保険料、厚生年金、雇用保険、住民税、所得税など控除された場合、手取り額は幾らになるのだろうか。また契約更新は当然更新ではなく、その都度会社の判断に委ねられるので将来を見通すことができない。おそらく期間工でもQCサークル活動で成果を上げないと、勤務成績、勤務態度などに影響するので契約更新も難しいという実態があるのではないか。
さらに契約が更新されても最長2年11ヶ月で止まる。独身者の場合には独身寮に入れば住居費は無料になるが、寮に入らない場合には月20万円では生活は楽ではないと思われる。しかも深夜勤務を含む2交替勤務であるから生活リズムが崩れ身体的精神的に疲労が蓄積することは容易に想像できる。
結局、期間工とは、雇用期間の定めのある労働契約を締結している労働者であって、トヨタ自動車にとって「景気の調整弁」として使い捨ての労働者なのであろう。

ところで政府は、非正規雇用と正規雇用の賃金等の待遇格差が世界的にみて格差が大きいことから、「同一労働同一賃金原則」から不合理な格差を是正するための努力をしようとしている。賃金格差の程度は厚労省の統計調査によれば平成28年においては、正社員の場合平均時給は1950円であるのに対し、正社員でない場合、平均時給は1299円とされている。特に正社員の場合勤続年数に従って賃金は増えるが、正社員でないと定年まで、ほぼ同じ時給となっているので、生涯賃金額は大きな格差が生じる。

ではトヨタ自動車における賃金はどのようになっているか、であるが、ネット情報によれば、2017年3月現在の発表では、正社員の賞与も含めた平均年収は814万円となっており、年令別でみると、30歳代634万円〜724万円、40歳代814万円〜911万円、50歳代968万円〜976万円という。さらに総合職、技術職、一般職との間には年収に大きな格差があり、総合職であれば年収1140万円、技術職797万円、一般職は814万円となっている。
このような数字を見てみると、期間工の年収は240万円程度であり、仮に時間外残業や休日労働をしたとしても年収は多くても360万円程度であろうと推測することができる。そうしてみると、期間工とそうではない労働者の間には大きな賃金格差があると言わなければならない。
トヨタ自動車における期間工の割合は不明であるが、2017年3月に発表された東洋経済オンラインでみると、トヨタ自動車の非正規労働者数は連結で8万6843人であり、連結での労働者数34万8877人に対して20%だったという。2016年の数字では、非正規労働者数は8万5778人、労働者数33万8875人だったから、人数としては増加していることになる。
 トヨタ自動車は期間工を正社員として登用する方針も打ち出してはいるが、現在のところ期間工の割合が大幅に減るという結果にはなっていないようである。

以 上
posted by 金山総合法律事務所 at 12:35| 重要判決

2017年04月18日

トヨタ自動車 〜その5 過労死〜

トヨタ自動車 〜その5 過労死〜

先回紹介したBさんの裁判の判決では、名古屋地方裁判所は、「本件災害はBが従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の災害と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである」と判決をした。つまり豊田労働基準監督署の不支給処分は違法だと認定された。

このBさんのケースではいろいろな論点がありそうであるが、第1に、時間外労働時間管理についての問題があると思う。
 判決は、Bさんの上司であるKがBの労働時間を管理していたというものの、その内容を信頼することができないと判断した。一体、なぜそのような事態がおきたのか不明であるが、トヨタ自動車ほどの企業であれば、例えば、全労働者に出退勤のカードを持たせて、工場の門を出入りする際にカードでチェックすることで自動的に時間外労働を管理するという方法を採用することなどができたと思われる。
 時間管理表を自己申告によって記入する方法や上司が作成するという方法では、どれだけでも虚偽の時刻を記入することができるので、真実の時刻が記載されていないことが多い。まずもってトヨタ自動車は労働者の労働時間管理を正確に実施していなかったことが問題にされるべきであろう。
ところで豊田労基署は、Bが時間外労働している事実について、「出社時間と退社時間からわかることは在社時間であって労働時間ではない。在社の全部が労働時間ではなく、雑談していたりして職場にいる必要がないのに残っていただけである」などと反論していた。「労働基準監督署がそういう主張をするのか」と私は非常に驚いた。
 Bさんの件では、Bさんが心停止状態になったのは午前4時20分であった。本来であれば午前1時に仕事を終えて帰宅するべきであるにもかかわらず午前4時20分まで詰所にいて業務に従事していた。このように深夜、大部分の人が寝ている時刻に雑談のために午前4時20分まで在社したいと希望する労働者が一体どこにいるのだろうか。豊田労基署はトヨタ自動車の職場における深夜交替勤務の実態を十分に調査して労働実態を正確に認識すべきである。

ところで、いろいろな情報を探してみると、2006年8月に「豊田労基署署長ら,漏洩先企業の法人会員権でゴルフ」という新聞報道があった。この記事によれば、次のようであった。
 豊田労基署には労基法違反や労働条件などの相談に応じる非常勤の国家公務員が総合相談員として配置されていた。
 豊田市に本社や工場をもつ自動車部品製造会社Xの元労働者Yは、定年退職後に豊田労基署の総合相談員として採用され相談業務を行っていたが、X社の労働者Zが、豊田労基署に来て労働基準法違反と思われる内容の告発をしたそうだ。本来であれば、相談員Yは労基署としてきちんと調査するべきところ、なんとYの出身企業だったため、Xに対してZの内部告発に関する情報、例えば告発者の氏名や告発内容などをXに伝えたという。
驚くような話であるが、労働相談員の採用条件をみると、企業で労務管理実務経験のある者、社会保険労務士の実績のある者とあるので、このような事態は十分に予想されることである。しかも、豊田労基署の署長や課長はYからX社のゴルフ場割引券を貰って、Xの社員などと一緒にゴルフをしたという。
労働基準法99条では「労働基準監督署長は、都道府県労働局長の指揮命令を受けてこの法律に基づく臨検、尋問、許可、認定、審査、仲裁その他この法律の実施に関する事項をつかさどり、所属の職員を指揮監督する」とされており、非常に強い権限を持っている。さらに同法第101条では、労働基準監督官の権限につき、「事業場、寄宿舎その他の付属施設に臨検し、帳簿および書類の提出を求め、又は労働者に対して尋問を行うことができる。」と定め、同法102条では「労働基準監督官は、この法律違反の罪について刑事訴訟法に規定する司法警察官の職務をおこなう。」としている。
 このように労基署長も、また労基署に配属されている労働基準監督官も非常に強い監督・指導権限を持っているのである。労働基準法違反を行うのは使用者なのであるから、企業とはきちんと距離をとり違法が疑われる事態があれば企業がなんと言おうとも直ちに対処する義務がある。従って、上記のようなX社と豊田労基署長や課長などの関係は、あってはならない不正な癒着というべきであろう。
報道によれば、豊田労基署の署長などは、国家公務員倫理法違反で戒告処分を受け、
内部告発についての情報を漏らした相談員は国家公務員法の守秘義務違反で戒告処分とされたという。
結果が甘すぎるとは思うが、そもそも労基署で働く総合相談員として採用する場合には、少なくとも当該労基署の管内の企業で労務管理の仕事をしていた労働者を採用するようなことはすべきではないだろう。

第2の論点は、QCサークルなどの活動である。
 QCサークル活動については、トヨタ自動車75年史をみると、いかに企業として力を入れていたが良く分かる。
 「トヨタがQC(品質管理)を導入したのは、戦後であるが、すでに戦前においてその起点を見いだすことができる。・・まず1949年末に緊急の課題であった製造工場での不良品低減に対して、特性要因図に基づき不良の要因を検討し、その要因のばらつきを管理図で明らかにすることで対策につなげる、というQCアプローチが導入され、翌年機械工場で管理図法が試験的に適用された。・・1951年に創意工夫提案制度が発足した」という。
具体的にどのような方法でQCサークル活動がなされたかについてトヨタは詳細を書いていないが、聞くところによれば、例えば製造工場では、ラインが止まった後にチーム員8〜10名が職場に残って会議室で製造工程の見直しや、工具の使用方法など実際に作業にあたって感じたことを意見として出し合って話合い提案として纏めていくという方法だという。つまり労働契約上の業務が終了した後の活動をいう。
このQCサークル活動などは、すべて「自主的業務」であるとして、トヨタ自動車が労働者に対しまったく賃金を支払わなかった。

 さらに75年史では、「1993年(平成5年)からNewQCサークル活動が展開された。管理監督者がQCサークルの本来の狙いを再度理解し、これに沿った活動に導くため管理監督者の教育などが実施された。創意くふう提案制度においては、提案件数が過熱し、改善提案を通じた上司から部下への指導が難しくなる現象も見られたことから、審査基準や表彰基準が見直されるとともに、提案件数の全社目標が廃止され、量の拡大から質の向上への転換が図られた」と書いてある。
「提案件数が過熱した」とさらりと書いてあるが、なぜ過熱したのか記載はない。しかし、おそらく提案件数が多いことによって昇進や昇格などの人事考課が大きく影響したのだろうと容易に推測することができる。
Bさんがいた頃の平成12年の提案件数をみると、年間65万9589件、1人当たり11.9件となっている。ちなみに1986年には264万8710件、1人当たり47.7件となっている。しかし、トヨタ自動車の75年史では、これだけの量の提案をするために労働者がどれだけの時間を使っているのか、時間外労働手当の不払い額が幾らあったのか、そしてトヨタはこれほど大量の改善提案によってどれだけ企業利益を得たのか、なにも記載していない。

ところで、Bさんの判決で「QCサークル活動」と「創意くふう提案」については、裁判所は業務性を認めたため、トヨタ自動車は、判決のあった2007年11月の後の2008年6月からQCサークル活動の時間について時間外手当が支給されるようになったという。ただし、月2時間という制限があり、2時間以上活動する場合には上司の許可が必要になったという。
 トヨタ自動車が莫大な企業利益を上げ、今の地位を築いてこれたのは、労働者がQCサークルや創意くふう提案などの活動をしてきたこと(=品質向上)とこれらの活動について「ただ働き」としてきたこと(=コストカット)によって支えられてきたからである。

以 上
posted by 金山総合法律事務所 at 12:43| 重要判決

トヨタ自動車 〜その4 過労死〜

トヨタ自動車 〜その4 過労死〜

法律雑誌で公表されているもうひとつの過労死に関する判決を見てみよう。
 2007年(平成19年)11月30日には国・豊田労基署長(トヨタ自動車)事件の名古屋地方裁判所判決である(労働判例951号)。この判決については被告は控訴しなかったことから確定した。

男性Bさんは、1989年(平成元年)4月にトヨタ自動車に入社し、主に堤工場にて自動車ボデーにゆがみやへこみがないかどうかを品質検査する部署に第1品質係のRL813組に配属されて働いていたが、2002年(平成14年)2月9日の午前4時20分頃、工場内の詰め所にて交替勤務する「反対直」と呼ばれる後の組への申し送り事項を申送帳の記入や、ライン作業者から業務報告を受けたり、ドアの不具合につき後工程である組立のGL(グループリーダー)と折衝したり、不良品を現場から持ち帰ったりといった作業をしていたところ、意識を失って椅子から崩れ落ち、午前4時50分には心停止状態になり、午前6時57分搬送先の病院で死亡が確認された。Bさんは死亡当時30歳だった。

Bさんの妻は、2002年(平成14年)3月に本件災害が業務に起因するものとして豊田労働基準監督署に遺族補償年金などの請求をしたが、2003年(平成15年)11月不支給処分としたため、さらに2004年(平成16年)1月愛知県労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、審査官は2005年(平成17年)3月に棄却決定を出した。さらに平成17年4月に東京の労働保険審査会に再審査請求をしたが3ヶ月以上経過しても裁決がなされなかったため、2005年(平成17年)7月にBさんの妻が原告となって国と処分庁である豊田労働基準監督署長を被告として提訴したものである。

判決は、まずBさんの労働時間について次のとおり認定した。
「第1作業係では1週間毎に1直(日勤)と2直(夜勤)とを交代する。深夜労働を含む2交代勤務制が実施されていた。1直および2直の所定始業時刻、ライン稼働開始時刻および終業時刻は以下のとおりだった。
 1直:始業時刻      午前6時25分
    ライン稼働開始時刻 午前6時30分
    終業時刻 午後3時15分
2直:始業時刻   午後4時10分
    ライン稼働開始時刻 午後4時15分
    終業時刻 午前1時00分 」

 そして、時間外労働時間については「平成14年1月10日から同年2月8日までの期間において合計312時間40分在社し、このうち労働時間は合計278時間10分である。労働基準法32条1項所定の1週間に40時間という労働時間の規制に従ってBの時間外労働を算出すると、上記期間における時間外労働は、106時間45分となる」と認定した。
さらに被告の反論については「Bの勤怠管理についてはK(グループリーダー上司)が残業時間等の所定事項をパソコンに入力することにより行っていたものであるが、パソコンに入力されたBの残業時間は、Kが通常の処理方法で必要と認められるであろう作業時間を想定して入力したものであって、作業に費やした実際の時間を示すものではない」と認定している。

さらに判決はBの小集団活動につき、次のように認定した。
「Bは、平成12年から本件災害発生当時まで、交通安全リーダー、職場委員、QC(品質管理Quality Control)サークルリーダーの役割を担っていた。トヨタ自動車は従業員の人事考課において基礎技能職・初級技能職・中堅技能職につき、創意くふう等の改善提案やQCサークルや小集団活動での活動状況をEX級(班長職エキスパート級)につき組メンバーを巻き込んだ活動ができることを考慮要素としている。」
「創意くふう提案、およびQCサークルの活動は、トヨタ自動車の事業活動に直接役に立つ性質のものであり、また交通安全活動もその運営上の利点があるものとしていずれもトヨタ自動車が育成・支援するものとして推認され、これにかかわる作業は、労災認定の業務起因性を判断する際には、使用者の支配下における業務であると判断するのが相当である」とした。

そしてBの労働の質については「Bのライン外業務は不具合の処理として、その発生元や不具合がBの担当部署で発見できず後の工程で発見された場合の折衝が必要になり、ときに他の組の上位職制から叱責されたこともあったというのであるから、その職務の性質上比較的強い精神的ストレスをもたらしたと推認できる。またライン稼働中は、詰所でゆっくり座って仕事ができる日がほとんどなかったというのであるから、ライン稼働中の業務は労働密度も比較的高いものであったというべきである。加えて、夜間交替勤務による労働は人間の約24時間の生理的な昼夜リズムに逆行する労働態様であることから、慢性疲労を起こしやすく、様々な健康障害の発生に関連することがよく知られており、近年の研究により心血管疾患の高い危険因子であることが解明されつつあることに照らせば、Bの業務が深夜勤務を含む2交代勤務制である本件勤務体制の下で行われていたことは慢性疲労につながるものとして業務の過重性の要因として考慮するのが相当である。」と判示した。
最後に「本件災害はBが従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の災害と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである」と判決をした。
                     (続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 12:35| 重要判決

トヨタ自動車 〜その3 過労死〜

トヨタ自動車 〜その3 過労死〜

トヨタ自動車と聞くと、評判の良い優秀な企業というイメージを持つ人も多いと思う。しかし、ここ愛知県で生活していると、トヨタ自動車で働く労働者が非常に厳しい労働現場で働いているという話をよく聞く。しかもトヨタ自動車ではいくつか過労死あるいは過労自殺も発生し、ときどき新聞などで報道されている。

 私自身はトヨタの過労死問題に直接関与したことはないので、いくつか調査してみたところ、2001年(平成13年)6月18日には豊田労基署長(トヨタ自動車)事件の名古屋地方裁判所判決(労働判例814号)、2003年(平成15年)7月8日には同じ事件での名古屋高等裁判所判決(労働判例856号)があった。2007年(平成19年)11月30日には国・豊田労基署長(トヨタ自動車)事件の名古屋地方裁判所判決が見つかった。なお、新聞記事ではあるが、2017年(平成29年)2月23日には名古屋高等裁判所でトヨタ自動車の関連会社での過労死について判決があった。トヨタ自動車だけでなく関連会社の過労死事件も含めれば、もっと多くの事件があるのかも知れない。

最初の事件は飛び降り自殺のケースである。
男性Aさんは、1978年(昭和53年)4月にトヨタ自動車に入社し車両設計の技術者として働いており、1988年(昭和63年)2月には第1車両設計課第1係の係長に昇進したものの、同年8月23日午前5時30分頃、自宅付近のビルの6階踊り場から飛び降り全身打撲で死亡した。死亡当時Aさんは35歳だった。
 Aさんの妻は、1989年(平成元年)3月に自殺が業務上に起因するうつ病によるものであるとして岡崎労働基準監督署に遺族補償年金などの請求をしたが、後日移管を受けた豊田労働基準監督署は1994年(平成6年)10月に不支給処分とした。そのためAさんの妻が原告となって提訴したものである。
名古屋地方裁判所では「遺族年金給付を支給しない処分を取り消す」という判決を出した。つまりAさんの妻の勝訴である。これに対し豊田労基署長が不服として名古屋高等裁判所に控訴し、平成15年7月8日に控訴棄却の判決がなされた。
控訴審では、うつ病による自殺が業務上に起因するものかどうかという点が重要な争点であったが、判決は係長に昇進してからの繁忙さについて次のように認定した。

 「トヨタの会社では、生産過程において、『ジャスト・イン・タイム』と『自働化』を特徴とした独自の生産方式を採用しており、これにより高い生産効率と人件費等のコスト削減を目指していた。また新車の開発や量産車のマイナーチェンジ等は製品企画室があらかじめ設定した日程に基づいて行われていた。そして設計業務の遅れは他の部署の日程に大きな影響を及ぼすため、設計図の出図期限は遵守すべきものであり、設計部門においては出図時期が一番の繁忙期であった。」
「Aの係長としての主な業務は、月例報告書の作成、製造現場や販売店からのクレームに対する改良処置、業務処理の管理、先行設計図の書き込み、他部署との調整、生産工程現場に赴いて改良設計の打ち合わせ、特許申請があった。」とした他、時間外労働時間の状況、残業半減運動による残業規制の存在、外国への出張命令、労働組合の職場委員長の就任などの諸事情を認定した。
これらの認定事実により、例えば「これらの業務は、いわゆる中間管理職の業務であり、一般職員の業務よりもストレスが強いと推測される」とし、さらに、「トヨタでは1987年(昭和62年)6月まで残業半減運動が行われ、1988年(昭和63年)当時も1人1ヶ月平均の目標残業時間数が定められていたところ、形式化した業務の廃止や業務の効率化等がおこなわれたとしても、残業規制により労働密度が高まったことが推定される。Aの時間外労働時間数は1987年(昭和62年)11月から1988年(昭和63年)6月まで毎月40時間以上の時間外労働をしているが、これは上記毎月の目標残業時間数にほぼ合致しているものであることからすれば、Aの昭和62年2月以降の労働密度は、それ以前に比べて高いものであったと推認される。」と個々の事実について具体的に認定した。

そして、「Aは従前からの恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により相当程度の心身的負荷を受けて精神的、肉体的疲労を蓄積していたこと、昭和63年7月の2車種に出図期限が重なったことによる過重・過密な業務、および出図の遅れにより極めて強い心身的負荷を受けたこと・・・(中略)・・Aの本件うつ病は上記の過重、過密な業務および職場委員長への就任内定により心身的負荷とAのうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って、発症したものであり、さらにその後の開発プロジェクトの作業日程調整および本件出張命令が本件うつ病を急激に悪化させ、Aは本件うつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものと認めるのが相当である。」としてAのうつ病発症と自殺には業務上の相当因果関係を認められるとした。

この判決は当然のことながら妥当だと思われるが、豊田労基署が当初「不支給」とした理由は、Aの時間外残業時間が月43時間程度だったことが原因だったのではないかと思われる。しかし、単純に時間外労働時間数のみでストレスの有無や量を判断することは非常に危険であり有害である。なぜならば仮に時間外労働時間数を減らすように使用者が指示したとしても、使用者は、労働者のために業務量を減らしたり、業務完成の期限を延期したりすることは決してないからである。その意味でこの判決は豊田労基署が判断を誤った原因をきちんと示していると思われる。

なお、新聞報道によれば、現在におけるトヨタ自動車の36協定(労働基準法36条に基づく時間外労働に関する労使協定)は、1日8時間、1ヶ月80時間、1年720時間となっているそうだ。これだけの数字を見ればつい少なく感じてしまうが、労働基準法32条では、時間外労働については、1日8時間としているから、時間外8時間を加えると「1日16時間まで働かせても良い」ということを意味するし、1週間は40時間としているから、仮に1ヶ月4週間とすると4週間で160時間となるから、これに時間外80時間を加えると「4週間に240時間まで働かせても良い」ということになる。
(続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 12:33| 重要判決

2017年04月10日

トヨタ自動車 〜その2 トヨタシステム〜

トヨタ自動車 〜その2 トヨタシステム〜

愛知県で生まれ愛知県で生活していると、トヨタ自動車に限らず、関連子会社、下請け会社に働いている人と知り合うことが多い。

私の手元には「大企業黒書」という冊子がある。1981年(昭和56年)に「職場の自由と民主主義を守る愛知連絡会議」が発行したもので、愛知県下の大企業、新日鉄、東レ、三菱重工、中部電力、住友軽金属、大隈鉄工、日本碍子(ガイシ)など各職場の労働実態を明らかにしている。

 そのトップ記事はトヨタ自動車工業の労働者が書いた「『カンバン方式』が生み出した労働強化と労働災害」である。
1980年と言えば、トヨタの自動車輸出が100万台を越え、まさに日米貿易摩擦が深刻化した時である。
このころ職場では「現在の人員で最大の効果を発揮する体制作りが強調され、超過密労働をトヨタ自工従業員はもとより、関連企業の労働者下請中小企業に押しつけた」という。数字上でみれば、1976年から1980年までの5年間で、売上高は65.9%、生産台数は31.9%の増加があったものの、従業員数はわずか5.8%しか増えていない。つまり労働者1人当たりの生産台数は55.4台から69台に増え、売上げ高も1人当たり4400万円から7000万円に上がったという。この数値から労働強化が加速されたことが十分に分かる。当時あまりにもトヨタの働かせ方がひどいと全国的に評判になったため、地方の採用面接会場には応募者がなかったという。
1981年会社は「有給休暇の取得向上」という運動を提唱したが、その内実は、「計画的な有休取得運動」であって、「少ない人員で工場の稼働をさせようと思うと、事前に人員を把握しておかなければならない。つまり当日朝突然休む人をどうしても減らす必要があることから考え出されたものであって、決して有休を取りやすくしたものではなかった」と記事には書いてある。そしてその結果、有休取得率は増えることはなく、事前計画率のみ向上したそうである。
また増産のために愛知県に田原工場を新設したが、1980年6月から1981年5月までの間に豊田市の工場から90名近い労働者が田原工場に転出をした。しかし、従来の工場では人員補充が16名新人採用でしかなかったので、労働強化がひどくなったという。このように人員削減をしても補充をしないというのがトヨタの労務管理だった。 また工場のラインのスピードについては、ある職場では、作業者の動きをストップウォッチで時間計測するという方法をとるが、その際、動作の速い労働者の時間に合わせるようにラインのスピードを標準化し、作業基準書を作成した。結局、他の労働者は動作の一番早い人の時間に合わせることを強制され、労働強化となったという。このようにラインは1秒単位で早くなったので、労働者は仕事中トイレにいく時間的余裕も奪われた。

「大企業黒書」にはもうひとつ「豊田自動織機」の労働者が書いた記事がある。豊田自動織機は、トヨタ自動車の前身として1926年(大正15)に設立された会社であり、現在のトヨタ自動車の筆頭関連会社であり、本来の織機機械の生産の他、トヨタ自動車の組み立て、エンジン、カーエアコン、自動車電子部品など自動車関連製品の生産を行っている。本社は愛知県刈谷市豊田町にある。
トヨタのカンバン方式を採用しているが、トヨタ自工の下請けとして自動車を生産している工場の労働者は、「織機のラインで働く方が自工のラインよりもきつい」と言い、職制も「トヨタ自工から仕事をもらっているんだから自工よりもラインが遅かったら、儲からない」と言っていたそうである。例えば、1975年には1台当たり7分のラインのスピードが、1979年には1台当たり3分30秒と早くなったという。このようにラインのスピードを早くしたため、この4年間で生産台数が4倍になった。
このような労働強化によって腰痛とか頸肩腕症候群、振動病などの労働災害が増加した。この記事には腰痛に罹患した男性労働者が、会社に対して療養補償給付請求書(いわゆる労災申請書)を渡したところ、会社はその男性に対して「業務起因性はない」という書面や、「労災であると主張することは、会社と従業員の関係において誠に遺憾に思う」と書いた書面を渡したという、労災申請書は、会社が労働者から渡された場合には、そのまま労働基準監督署に提出しなければならないにもかかわらず、これを放置したどころか、労働者の請求する権利を妨害し侵害したのである。このように職場では多くの労働災害が発生しているにもかかわらず、このような会社の対応による職場の雰囲気により、労働者は労災申請することすらできない状況にあったという。

このように見てくると、トヨタが1980年以降、自動車販売台数が世界2位になり、さらにその後世界1位になった理由が分かるような気がする。まさに少数の労働者をギリギリまで低賃金で働かせたことによって生産台数を増やした結果なのであろう。

トヨタ自動車やその関連企業での職場の実態、そしてその根幹となった「トヨタシステム」というトヨタでの生産管理システムや労働管理システムについては、猿田正樹教授が、例えば1995年(平成7年)発行の「トヨタシステムと労務管理」(税務経理協会)などに詳しいので、そちらを参照して下さい。
弁護士 渥美玲子
(続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 15:08| 重要判決

トヨタ自動車 〜その1 世界第1位〜

トヨタ自動車 〜その1 世界第1位〜
弁護士 渥美玲子

愛知県で生まれ愛知県で生活していると、嫌でも「トヨタ自動車」という企業名を目にしたり聞いたりする機会が多い。
新聞では、トヨタ自動車の自動車販売数が世界1位だとか,2位に落ちたとかいうニュースが出ていて「トヨタ」の会社名は世界的に有名であるが、2017年1月5日、トランプ大統領がツイッターで、「トヨタ自動車は米国向けのカローラを生産する工場をメキシコのバハに新設すると言っている。とんでもない。米国に工場を建設しろ、さもなくば高い関税を支払え」と、トヨタを名指しで批判したことから、さらに有名になった。そのため少しトヨタのことを調べてみた。

 トヨタ自動車工業(旧社名)の前身が豊田自動織機であることは歴史の教科書にも書いてあって余りにも有名であるが、自動車会社として設立されたのは1937年(昭和12年)8月とされている。
愛知県に豊田市という町があるが、昔は「挙母市」(ころもし)という名だった。ところが1959年(昭和34年)になって豊田自動車工業株式会社の本社が挙母町に置かれたことから、「挙母市」を「クルマの町」として成長させるという趣旨で、トヨタ自動車の創業者一族の姓をとって、「豊田市」に変えたそうである。以後、「豊田市」は「トヨタ」の「企業城下町」と呼ばれるようになり、市民の生活はトヨタに左右されるようになったという。現在では「トヨタ自動車株式会社」が正式社名であり、本社は豊田市トヨタ町にある。
トヨタ自動車工業は成長し今では世界的な規模を誇るようにもなったが、特に1973年(昭和48年)秋のオイルショックの頃から、「その後の低成長経済のなかでトヨタ自工の業績が他社に比べて相対的に良く、不況に対する抵抗力が強いことが認識されるようになった」という。そのため「トヨタの企業利益の根源はなにか」が研究対象にされた。自動車の大量生産方式としては「フォードシステム」が有名であったが、トヨタは「トヨタイズム」や「カンバン方式」という新たな大量生産方法を採用したことで一躍知れ渡った。また「ジャスト・イン・タイム」という生産工程について徹底的に無駄を省くシステムや、労働者に残業を強要する「QC(品質管理)サークル活動」なども有名であろう。このようにトヨタシステムは当然のことながら単に工場内部のことにとどまらず、労働者の働き方や生活、下請け企業の在り方などに大きな影響を及ぼしている。

ところでトヨタの工場はもちろん愛知県をはじめとして日本国内にたくさんあるが、結構昔から海外生産をしていたようで、1958年(昭和33年)にはブラジルに会社を設立し、翌年に生産を開始している。ブラジルになった理由について、トヨタのホームページをみると「豊富な天然資源に恵まれ、後進地域の中ではもっとも所得が高く将来の市場性が高いこと、戦前から日本からの移民も多く日本製品に対して好意的であることに加えて、同国が自動車国産化法を準備していたことから製造会社設立に踏み切った」と記載している。
 そして、1980年代中頃からは世界のボーダーレス化に伴い、ヨーロッパ中心に急速に拠点数が増え、2016年12月現在は、世界28ヶ国・地域に53の生産工場があり、トヨタ車の販売店は海外170ヶ国・地域にあるという。まさにグローバルな展開を見せている。

 このような世界的な販売網の展開により特にアメリカとの関係では大きなトラブルを招いていた。
 1980年(昭和55年)には日本の自動車生産は1000万台を突破しアメリカを抜いて世界一になり、トヨタの自動車の輸出も1980年に乗用車が100万台を越え、過去最高記録となったという。他方、アメリカでは、ゼネラルモーターズ(GM)社、フォードモーター社、クライスラー社のビッグ3などが軒並み赤字に転落したことで、いわゆる日米貿易摩擦が起きた。1980年6月にはアメリカ国内の失業者が急増した原因が日本車であるとの理由で、米国国際貿易委員会(ITC)に提訴し、同年8月にはフォード社も同様の訴えを起こしたそうである。この訴えについては日本車の責任ではないとの裁定がなされたが、1981年(昭和56年)1月にドナルド・レーガンが大統領に就任すると、日本政府に対し輸出の自主規制を求める声が上がり、日本製乗用車の輸入規制が始まったという。
1993年に発足したクリントン大統領政権時代にも自動車および自動車部品の分野は「日米包括協議」の重要な課題となり、交渉は長期化したものの、1995年6月には合意に達し、トヨタは、生産の「現地化の促進」と「輸入の拡大」を柱とする新国際ビジネスプランを発表し、海外生産を加速するとともに海外での販売における海外生産車の比率を1994年実績の48%から1998年には65%に引き上げることにしたという。
その後、米国での現地生産の拡充、米国市場に適合した新モデルの投入、販売網の整備など進めて販売台数は大きく上昇し、1988年の90万台強から1990年には105万台、2004年には206万台、2007年には262万台に増え、販売台数は2006年にはクライスラー社を上回り、2007年にはフォードモーター社を抜き、ゼネラルモータース社に次ぐ北米2位になった。
このようにトヨタはアメリカとの間で貿易摩擦というトラブルを持ちながらも、「グローバル企業」へと大きく成長してきたのである。
なお、トヨタの社史については、トヨタのホームページで「トヨタ自動車75年史」がアップされているので、詳細はこれをご覧頂きたい。ちなみにトヨタの社史は、西暦が主で、括弧書きで元号が記載されている。日本の裁判所の文書では、未だに元号になっていることとつい比較してしまう。

2016年世界自動車販売ランキングTOP10では次のようになっている。
10位 スズキ           288万台
 9位 プジョー・シトロエン    297万3000台
 8位 フィアット・クライスラー  461万台
7位 ホンダ   471万台
6位 フォードモーター 663万5000台
 5位 ヒュンダイ自動車グループ 776万台
 4位 ルノー・日産アライアンス 852万8000台
 3位 ゼネラルモーターズ 984万台
 2位 フォルクスワーゲングループ 993万台
1位 トヨタグループ 1015万1000台

トヨタの財政状況は,2016年3月末現在次のようになっている。
売上高   単独 11兆5858億円
連結 28兆4031億円
営業利益 単独  1兆4021億円
連結  2兆8539億円
純利益 単独  1兆8103億円
連結  2兆3126億円
純資産 単独 10兆8594億円
連結 18兆0881億円
総資産 単独 16兆1002億円
連結 47兆4275億円
従業員数 単独   7万2721人
連結  34万8877人

トヨタ自動車単独だけでも大きな収益になっているが、連結財務諸表で企業グループをみると、本当に巨大企業グループであることが分かる。
        (続く)

posted by 金山総合法律事務所 at 14:55| 重要判決

2015年05月21日

アスベスト被害賠償

  
アスベスト被害賠償について
〜国によるアスベスト工場の元労働者とそのご遺族に対する和解による賠償金の支払いについて〜

1 大阪泉南アスベスト訴訟と元労働者や遺族への賠償金の支払いについて
 平成26年10月9日、最高裁判所は、大阪府泉南地域のアスベスト工場の元労働者が被ったアスベストによる健康被害について、国に対して損害賠償をするよう命じました(大阪泉南アスベスト訴訟)。判決の中で、昭和 33年5月26日から昭和46年4月28日までの間、国がアスベスト工場に排気装置を設置するよう規制権限を行使しなかったことが違法であると判断されました。
この判決を受け、厚生労働省は被疑者に対し謝罪した上、アスベスト工場で働いていた元労働者やそのご遺族のうち、大阪泉南アスベスト訴訟の原告らと同様の境遇にある方々が国に対して訴訟を提起した場合に、訴訟上の和解手続きにおいて大阪泉南アスベスト訴訟において示された基準に準じて賠償金を支払うことを決めました。

2 国から賠償を受けることができる要件
厚生労働省の発表によると、国はアスベスト工場で働いていた方やその遺族のなかで、一定の要件を満たす方に対して賠償金を支払うとしています。要件を満たすか否かの判断は、以下のポイントをご確認ください。
@アスベスト工場で働いていた時期
   昭和33年5月26日から昭和46年4月28日までの間に働いていたこと 
A工場内での作業内容
 工場で石綿を直接扱ったり、石綿を取り扱う現場で作業をしていたこと
B健康被害の内容
 元労働者が石綿肺、肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚などを発症したこと
C提訴の時期が損害賠償請求権の期間内であること
 健康被害の発症、じん肺管理区分決定、労災認定、死亡などの時期によって判断します

3 どんな証拠が必要か
厚生労働省の発表によると、上記要件を満たすか否かについて、日本年金機構発行の「被保険者記録照会回答票」、都道府県労働局長発行の「じん肺管理区分決定通知書」、労働基準監督署長発行の「労災保険給付支給決定通知書」、医師の発行する「診断書」等の証拠によって確認するとされています。

4 和解により国から受け取る賠償金の額について
和解により国が支払う賠償金の額は、疾患の種類や病状によって異なります。
また、最高裁判決では、国による賠償義務は、賠償基準額の2分の1を限度とすると判断されているため、和解により国が支払う賠償金の額については、疾患の種類や病状に応じた賠償基準額の2分の 1を基礎として算定されます。

5 元労働者やご遺族に対する和解の手続きの意義
 従前働いていたアスベスト工場がすでに存在しなかったり、訴訟提起をあきらめていた方は、国から賠償を受けられることが明らかになりました。また、理屈の上ではアスベスト工場や会社の責任を追及する事ができても立証が難しいとの理由で救済を受けることをあきらめていた方でも、上記の証拠をそろえさえすれば国からの賠償を受けられます。これらの意味で、今回発表された和解の手続きのは、健康被害を受けられた方に新たな救済の道を開くものと評価できます。しかしながら、和解をするために訴訟を提起しなければならないことや、訴訟での証拠とするためにじん肺管理区分決定申請や労災申請を行わなければならないことから、弁護士による支援が必要となるのではないかと思われます。

6 お問合せ先
 当事務所にはアスベスト被害救済東海弁護団の弁護士が在籍しています。訴訟だけでなく、じん肺管理区分決定申請、労災申請などについてもご相談に応じますので、事務所までお気軽にお問い合わせ下さい。
 【参 考】
 ・厚生労働省HP「石綿(アスベスト)工場の元労働者やその遺族の方々に対する和解手続による賠償金のお  支払いについて」
    2015年5月21日       弁護士 山 下 陽 平
posted by 金山総合法律事務所 at 18:01| 重要判決

2013年09月30日

強制退去取消判決



平成25年7月18日、退去強制取消訴訟において勝訴判決を獲得しました。
 この判決についてはNHKの地方ニュースや読売新聞などに取り上げられました。

不法滞在の外国人に関する事件ですので、外国人の在留制度について説明します。そもそも、日本に在留する外国人は、上陸許可の際に在留資格が決定され、日本で行うことができる活動にも制限が課せられています。
このような在留資格を得ずに入国したり(不法入国)、期限を超えても日本に滞在し続けたり(不法残留)すると、外国人が自分で出国しない場合には最終的に国外へ強制的に送還されてしまいます。

とはいえ、不法入国や不法残留の状態にあるだけで、すべての人が国外へ強制的に送還されるわけではありません。家族関係、親子関係、日本社会への定着性など諸々の事情を考慮して、日本での在留を認めるべき外国人には特別に在留が認められることがあり、これを特別在留許可といいます。

今回、私が担当した裁判は、不法残留の外国人に対し、法務大臣が国外への送還を進めようと退去強制令書を発布した行為に対し、家族関係を丹念に見ていけば在留特別許可を与えるべき事情があるとして退去強制令書の発布の取り消し等を求めたものです。

外国人を強制退去させるか等については最高裁判決で法務大臣等にきわめて広い裁量が認められており、裁判で争ったとしてもなかなか退去強制令書の発布が取り消されるわけではありません。NHKの入管への取材によると、一昨年退去強制令書の取り消しが認められたのは全国で5件のみということでした。
 
では、本裁判ではどのような点が評価されたのでしょうか。
本件の原告は2週間の短期滞在のビザで入国後、オーバーステイ(不法残留)になってしまったフィリピン人の男性です。
原告は、その後日本で定住者資格を有するフィリピン人女性と結婚し、娘をもうけて、妻の連れ子も含め家族4人で生活していました。原告は不法就労にならないように主に家事育児を担い、生活費は妻が働いて得ていました。また、妻との結婚後に、原告は自ら入国管理局に出頭もしていたという事情もありました。判決ではこれらの事情につき丁寧に事実認定し積極的な評価がなされていました。
これらの事情に加え、妻の連れ子が実父の日本人と定期的に会っていること、原告がフィリピンに退去強制されれば家族全員でフィリピンに帰国せざるを得ず、連れ子と実父が定期的に会うことがかなわなくなると主張しました。判決は、連れ子と実父の関係についても判決は積極的な要素として考慮してくれました。直接血縁関係にない妻の連れ子とその実父の関係についても考慮してくれた点については本件判決の大きな特徴といえるのではないかと思います。

不法残留や不法入国をする理由は、退去強制の対象となる人の数だけあるはずですし、退去強制が対象者が日本で築き上げてきた時間的、経済的、人的、社会的、そのすべての関係を無に帰させてしまいかねない極めて過酷なものであることからすると、退去強制令書の発付は本来画一的な処理になじむものではなく、より慎重な判断がなされるべきです。(勝訴した今になって思うと)本件は、本来であれば、家族関係の実態をもう少し深く把握して退去強制令書が発付する前の段階で在留特別許可が出されるべき事案でなかったかと思います。
なお、控訴はされず、先日無事原告にビザが発給されたと連絡がありました。


弁護士 山 下 陽 平
posted by 金山総合法律事務所 at 19:13| 重要判決