2017年04月18日

トヨタ自動車 〜その5 過労死〜

トヨタ自動車 〜その5 過労死〜

先回紹介したBさんの裁判の判決では、名古屋地方裁判所は、「本件災害はBが従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の災害と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである」と判決をした。つまり豊田労働基準監督署の不支給処分は違法だと認定された。

このBさんのケースではいろいろな論点がありそうであるが、第1に、時間外労働時間管理についての問題があると思う。
 判決は、Bさんの上司であるKがBの労働時間を管理していたというものの、その内容を信頼することができないと判断した。一体、なぜそのような事態がおきたのか不明であるが、トヨタ自動車ほどの企業であれば、例えば、全労働者に出退勤のカードを持たせて、工場の門を出入りする際にカードでチェックすることで自動的に時間外労働を管理するという方法を採用することなどができたと思われる。
 時間管理表を自己申告によって記入する方法や上司が作成するという方法では、どれだけでも虚偽の時刻を記入することができるので、真実の時刻が記載されていないことが多い。まずもってトヨタ自動車は労働者の労働時間管理を正確に実施していなかったことが問題にされるべきであろう。
ところで豊田労基署は、Bが時間外労働している事実について、「出社時間と退社時間からわかることは在社時間であって労働時間ではない。在社の全部が労働時間ではなく、雑談していたりして職場にいる必要がないのに残っていただけである」などと反論していた。「労働基準監督署がそういう主張をするのか」と私は非常に驚いた。
 Bさんの件では、Bさんが心停止状態になったのは午前4時20分であった。本来であれば午前1時に仕事を終えて帰宅するべきであるにもかかわらず午前4時20分まで詰所にいて業務に従事していた。このように深夜、大部分の人が寝ている時刻に雑談のために午前4時20分まで在社したいと希望する労働者が一体どこにいるのだろうか。豊田労基署はトヨタ自動車の職場における深夜交替勤務の実態を十分に調査して労働実態を正確に認識すべきである。

ところで、いろいろな情報を探してみると、2006年8月に「豊田労基署署長ら,漏洩先企業の法人会員権でゴルフ」という新聞報道があった。この記事によれば、次のようであった。
 豊田労基署には労基法違反や労働条件などの相談に応じる非常勤の国家公務員が総合相談員として配置されていた。
 豊田市に本社や工場をもつ自動車部品製造会社Xの元労働者Yは、定年退職後に豊田労基署の総合相談員として採用され相談業務を行っていたが、X社の労働者Zが、豊田労基署に来て労働基準法違反と思われる内容の告発をしたそうだ。本来であれば、相談員Yは労基署としてきちんと調査するべきところ、なんとYの出身企業だったため、Xに対してZの内部告発に関する情報、例えば告発者の氏名や告発内容などをXに伝えたという。
驚くような話であるが、労働相談員の採用条件をみると、企業で労務管理実務経験のある者、社会保険労務士の実績のある者とあるので、このような事態は十分に予想されることである。しかも、豊田労基署の署長や課長はYからX社のゴルフ場割引券を貰って、Xの社員などと一緒にゴルフをしたという。
労働基準法99条では「労働基準監督署長は、都道府県労働局長の指揮命令を受けてこの法律に基づく臨検、尋問、許可、認定、審査、仲裁その他この法律の実施に関する事項をつかさどり、所属の職員を指揮監督する」とされており、非常に強い権限を持っている。さらに同法第101条では、労働基準監督官の権限につき、「事業場、寄宿舎その他の付属施設に臨検し、帳簿および書類の提出を求め、又は労働者に対して尋問を行うことができる。」と定め、同法102条では「労働基準監督官は、この法律違反の罪について刑事訴訟法に規定する司法警察官の職務をおこなう。」としている。
 このように労基署長も、また労基署に配属されている労働基準監督官も非常に強い監督・指導権限を持っているのである。労働基準法違反を行うのは使用者なのであるから、企業とはきちんと距離をとり違法が疑われる事態があれば企業がなんと言おうとも直ちに対処する義務がある。従って、上記のようなX社と豊田労基署長や課長などの関係は、あってはならない不正な癒着というべきであろう。
報道によれば、豊田労基署の署長などは、国家公務員倫理法違反で戒告処分を受け、
内部告発についての情報を漏らした相談員は国家公務員法の守秘義務違反で戒告処分とされたという。
結果が甘すぎるとは思うが、そもそも労基署で働く総合相談員として採用する場合には、少なくとも当該労基署の管内の企業で労務管理の仕事をしていた労働者を採用するようなことはすべきではないだろう。

第2の論点は、QCサークルなどの活動である。
 QCサークル活動については、トヨタ自動車75年史をみると、いかに企業として力を入れていたが良く分かる。
 「トヨタがQC(品質管理)を導入したのは、戦後であるが、すでに戦前においてその起点を見いだすことができる。・・まず1949年末に緊急の課題であった製造工場での不良品低減に対して、特性要因図に基づき不良の要因を検討し、その要因のばらつきを管理図で明らかにすることで対策につなげる、というQCアプローチが導入され、翌年機械工場で管理図法が試験的に適用された。・・1951年に創意工夫提案制度が発足した」という。
具体的にどのような方法でQCサークル活動がなされたかについてトヨタは詳細を書いていないが、聞くところによれば、例えば製造工場では、ラインが止まった後にチーム員8〜10名が職場に残って会議室で製造工程の見直しや、工具の使用方法など実際に作業にあたって感じたことを意見として出し合って話合い提案として纏めていくという方法だという。つまり労働契約上の業務が終了した後の活動をいう。
このQCサークル活動などは、すべて「自主的業務」であるとして、トヨタ自動車が労働者に対しまったく賃金を支払わなかった。

 さらに75年史では、「1993年(平成5年)からNewQCサークル活動が展開された。管理監督者がQCサークルの本来の狙いを再度理解し、これに沿った活動に導くため管理監督者の教育などが実施された。創意くふう提案制度においては、提案件数が過熱し、改善提案を通じた上司から部下への指導が難しくなる現象も見られたことから、審査基準や表彰基準が見直されるとともに、提案件数の全社目標が廃止され、量の拡大から質の向上への転換が図られた」と書いてある。
「提案件数が過熱した」とさらりと書いてあるが、なぜ過熱したのか記載はない。しかし、おそらく提案件数が多いことによって昇進や昇格などの人事考課が大きく影響したのだろうと容易に推測することができる。
Bさんがいた頃の平成12年の提案件数をみると、年間65万9589件、1人当たり11.9件となっている。ちなみに1986年には264万8710件、1人当たり47.7件となっている。しかし、トヨタ自動車の75年史では、これだけの量の提案をするために労働者がどれだけの時間を使っているのか、時間外労働手当の不払い額が幾らあったのか、そしてトヨタはこれほど大量の改善提案によってどれだけ企業利益を得たのか、なにも記載していない。

ところで、Bさんの判決で「QCサークル活動」と「創意くふう提案」については、裁判所は業務性を認めたため、トヨタ自動車は、判決のあった2007年11月の後の2008年6月からQCサークル活動の時間について時間外手当が支給されるようになったという。ただし、月2時間という制限があり、2時間以上活動する場合には上司の許可が必要になったという。
 トヨタ自動車が莫大な企業利益を上げ、今の地位を築いてこれたのは、労働者がQCサークルや創意くふう提案などの活動をしてきたこと(=品質向上)とこれらの活動について「ただ働き」としてきたこと(=コストカット)によって支えられてきたからである。

以 上
posted by 金山総合法律事務所 at 12:43| 重要判決

トヨタ自動車 〜その4 過労死〜

トヨタ自動車 〜その4 過労死〜

法律雑誌で公表されているもうひとつの過労死に関する判決を見てみよう。
 2007年(平成19年)11月30日には国・豊田労基署長(トヨタ自動車)事件の名古屋地方裁判所判決である(労働判例951号)。この判決については被告は控訴しなかったことから確定した。

男性Bさんは、1989年(平成元年)4月にトヨタ自動車に入社し、主に堤工場にて自動車ボデーにゆがみやへこみがないかどうかを品質検査する部署に第1品質係のRL813組に配属されて働いていたが、2002年(平成14年)2月9日の午前4時20分頃、工場内の詰め所にて交替勤務する「反対直」と呼ばれる後の組への申し送り事項を申送帳の記入や、ライン作業者から業務報告を受けたり、ドアの不具合につき後工程である組立のGL(グループリーダー)と折衝したり、不良品を現場から持ち帰ったりといった作業をしていたところ、意識を失って椅子から崩れ落ち、午前4時50分には心停止状態になり、午前6時57分搬送先の病院で死亡が確認された。Bさんは死亡当時30歳だった。

Bさんの妻は、2002年(平成14年)3月に本件災害が業務に起因するものとして豊田労働基準監督署に遺族補償年金などの請求をしたが、2003年(平成15年)11月不支給処分としたため、さらに2004年(平成16年)1月愛知県労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、審査官は2005年(平成17年)3月に棄却決定を出した。さらに平成17年4月に東京の労働保険審査会に再審査請求をしたが3ヶ月以上経過しても裁決がなされなかったため、2005年(平成17年)7月にBさんの妻が原告となって国と処分庁である豊田労働基準監督署長を被告として提訴したものである。

判決は、まずBさんの労働時間について次のとおり認定した。
「第1作業係では1週間毎に1直(日勤)と2直(夜勤)とを交代する。深夜労働を含む2交代勤務制が実施されていた。1直および2直の所定始業時刻、ライン稼働開始時刻および終業時刻は以下のとおりだった。
 1直:始業時刻      午前6時25分
    ライン稼働開始時刻 午前6時30分
    終業時刻 午後3時15分
2直:始業時刻   午後4時10分
    ライン稼働開始時刻 午後4時15分
    終業時刻 午前1時00分 」

 そして、時間外労働時間については「平成14年1月10日から同年2月8日までの期間において合計312時間40分在社し、このうち労働時間は合計278時間10分である。労働基準法32条1項所定の1週間に40時間という労働時間の規制に従ってBの時間外労働を算出すると、上記期間における時間外労働は、106時間45分となる」と認定した。
さらに被告の反論については「Bの勤怠管理についてはK(グループリーダー上司)が残業時間等の所定事項をパソコンに入力することにより行っていたものであるが、パソコンに入力されたBの残業時間は、Kが通常の処理方法で必要と認められるであろう作業時間を想定して入力したものであって、作業に費やした実際の時間を示すものではない」と認定している。

さらに判決はBの小集団活動につき、次のように認定した。
「Bは、平成12年から本件災害発生当時まで、交通安全リーダー、職場委員、QC(品質管理Quality Control)サークルリーダーの役割を担っていた。トヨタ自動車は従業員の人事考課において基礎技能職・初級技能職・中堅技能職につき、創意くふう等の改善提案やQCサークルや小集団活動での活動状況をEX級(班長職エキスパート級)につき組メンバーを巻き込んだ活動ができることを考慮要素としている。」
「創意くふう提案、およびQCサークルの活動は、トヨタ自動車の事業活動に直接役に立つ性質のものであり、また交通安全活動もその運営上の利点があるものとしていずれもトヨタ自動車が育成・支援するものとして推認され、これにかかわる作業は、労災認定の業務起因性を判断する際には、使用者の支配下における業務であると判断するのが相当である」とした。

そしてBの労働の質については「Bのライン外業務は不具合の処理として、その発生元や不具合がBの担当部署で発見できず後の工程で発見された場合の折衝が必要になり、ときに他の組の上位職制から叱責されたこともあったというのであるから、その職務の性質上比較的強い精神的ストレスをもたらしたと推認できる。またライン稼働中は、詰所でゆっくり座って仕事ができる日がほとんどなかったというのであるから、ライン稼働中の業務は労働密度も比較的高いものであったというべきである。加えて、夜間交替勤務による労働は人間の約24時間の生理的な昼夜リズムに逆行する労働態様であることから、慢性疲労を起こしやすく、様々な健康障害の発生に関連することがよく知られており、近年の研究により心血管疾患の高い危険因子であることが解明されつつあることに照らせば、Bの業務が深夜勤務を含む2交代勤務制である本件勤務体制の下で行われていたことは慢性疲労につながるものとして業務の過重性の要因として考慮するのが相当である。」と判示した。
最後に「本件災害はBが従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の災害と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである」と判決をした。
                     (続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 12:35| 重要判決

トヨタ自動車 〜その3 過労死〜

トヨタ自動車 〜その3 過労死〜

トヨタ自動車と聞くと、評判の良い優秀な企業というイメージを持つ人も多いと思う。しかし、ここ愛知県で生活していると、トヨタ自動車で働く労働者が非常に厳しい労働現場で働いているという話をよく聞く。しかもトヨタ自動車ではいくつか過労死あるいは過労自殺も発生し、ときどき新聞などで報道されている。

 私自身はトヨタの過労死問題に直接関与したことはないので、いくつか調査してみたところ、2001年(平成13年)6月18日には豊田労基署長(トヨタ自動車)事件の名古屋地方裁判所判決(労働判例814号)、2003年(平成15年)7月8日には同じ事件での名古屋高等裁判所判決(労働判例856号)があった。2007年(平成19年)11月30日には国・豊田労基署長(トヨタ自動車)事件の名古屋地方裁判所判決が見つかった。なお、新聞記事ではあるが、2017年(平成29年)2月23日には名古屋高等裁判所でトヨタ自動車の関連会社での過労死について判決があった。トヨタ自動車だけでなく関連会社の過労死事件も含めれば、もっと多くの事件があるのかも知れない。

最初の事件は飛び降り自殺のケースである。
男性Aさんは、1978年(昭和53年)4月にトヨタ自動車に入社し車両設計の技術者として働いており、1988年(昭和63年)2月には第1車両設計課第1係の係長に昇進したものの、同年8月23日午前5時30分頃、自宅付近のビルの6階踊り場から飛び降り全身打撲で死亡した。死亡当時Aさんは35歳だった。
 Aさんの妻は、1989年(平成元年)3月に自殺が業務上に起因するうつ病によるものであるとして岡崎労働基準監督署に遺族補償年金などの請求をしたが、後日移管を受けた豊田労働基準監督署は1994年(平成6年)10月に不支給処分とした。そのためAさんの妻が原告となって提訴したものである。
名古屋地方裁判所では「遺族年金給付を支給しない処分を取り消す」という判決を出した。つまりAさんの妻の勝訴である。これに対し豊田労基署長が不服として名古屋高等裁判所に控訴し、平成15年7月8日に控訴棄却の判決がなされた。
控訴審では、うつ病による自殺が業務上に起因するものかどうかという点が重要な争点であったが、判決は係長に昇進してからの繁忙さについて次のように認定した。

 「トヨタの会社では、生産過程において、『ジャスト・イン・タイム』と『自働化』を特徴とした独自の生産方式を採用しており、これにより高い生産効率と人件費等のコスト削減を目指していた。また新車の開発や量産車のマイナーチェンジ等は製品企画室があらかじめ設定した日程に基づいて行われていた。そして設計業務の遅れは他の部署の日程に大きな影響を及ぼすため、設計図の出図期限は遵守すべきものであり、設計部門においては出図時期が一番の繁忙期であった。」
「Aの係長としての主な業務は、月例報告書の作成、製造現場や販売店からのクレームに対する改良処置、業務処理の管理、先行設計図の書き込み、他部署との調整、生産工程現場に赴いて改良設計の打ち合わせ、特許申請があった。」とした他、時間外労働時間の状況、残業半減運動による残業規制の存在、外国への出張命令、労働組合の職場委員長の就任などの諸事情を認定した。
これらの認定事実により、例えば「これらの業務は、いわゆる中間管理職の業務であり、一般職員の業務よりもストレスが強いと推測される」とし、さらに、「トヨタでは1987年(昭和62年)6月まで残業半減運動が行われ、1988年(昭和63年)当時も1人1ヶ月平均の目標残業時間数が定められていたところ、形式化した業務の廃止や業務の効率化等がおこなわれたとしても、残業規制により労働密度が高まったことが推定される。Aの時間外労働時間数は1987年(昭和62年)11月から1988年(昭和63年)6月まで毎月40時間以上の時間外労働をしているが、これは上記毎月の目標残業時間数にほぼ合致しているものであることからすれば、Aの昭和62年2月以降の労働密度は、それ以前に比べて高いものであったと推認される。」と個々の事実について具体的に認定した。

そして、「Aは従前からの恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により相当程度の心身的負荷を受けて精神的、肉体的疲労を蓄積していたこと、昭和63年7月の2車種に出図期限が重なったことによる過重・過密な業務、および出図の遅れにより極めて強い心身的負荷を受けたこと・・・(中略)・・Aの本件うつ病は上記の過重、過密な業務および職場委員長への就任内定により心身的負荷とAのうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って、発症したものであり、さらにその後の開発プロジェクトの作業日程調整および本件出張命令が本件うつ病を急激に悪化させ、Aは本件うつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものと認めるのが相当である。」としてAのうつ病発症と自殺には業務上の相当因果関係を認められるとした。

この判決は当然のことながら妥当だと思われるが、豊田労基署が当初「不支給」とした理由は、Aの時間外残業時間が月43時間程度だったことが原因だったのではないかと思われる。しかし、単純に時間外労働時間数のみでストレスの有無や量を判断することは非常に危険であり有害である。なぜならば仮に時間外労働時間数を減らすように使用者が指示したとしても、使用者は、労働者のために業務量を減らしたり、業務完成の期限を延期したりすることは決してないからである。その意味でこの判決は豊田労基署が判断を誤った原因をきちんと示していると思われる。

なお、新聞報道によれば、現在におけるトヨタ自動車の36協定(労働基準法36条に基づく時間外労働に関する労使協定)は、1日8時間、1ヶ月80時間、1年720時間となっているそうだ。これだけの数字を見ればつい少なく感じてしまうが、労働基準法32条では、時間外労働については、1日8時間としているから、時間外8時間を加えると「1日16時間まで働かせても良い」ということを意味するし、1週間は40時間としているから、仮に1ヶ月4週間とすると4週間で160時間となるから、これに時間外80時間を加えると「4週間に240時間まで働かせても良い」ということになる。
(続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 12:33| 重要判決

2017年04月10日

トヨタ自動車 〜その2 トヨタシステム〜

トヨタ自動車 〜その2 トヨタシステム〜

愛知県で生まれ愛知県で生活していると、トヨタ自動車に限らず、関連子会社、下請け会社に働いている人と知り合うことが多い。

私の手元には「大企業黒書」という冊子がある。1981年(昭和56年)に「職場の自由と民主主義を守る愛知連絡会議」が発行したもので、愛知県下の大企業、新日鉄、東レ、三菱重工、中部電力、住友軽金属、大隈鉄工、日本碍子(ガイシ)など各職場の労働実態を明らかにしている。

 そのトップ記事はトヨタ自動車工業の労働者が書いた「『カンバン方式』が生み出した労働強化と労働災害」である。
1980年と言えば、トヨタの自動車輸出が100万台を越え、まさに日米貿易摩擦が深刻化した時である。
このころ職場では「現在の人員で最大の効果を発揮する体制作りが強調され、超過密労働をトヨタ自工従業員はもとより、関連企業の労働者下請中小企業に押しつけた」という。数字上でみれば、1976年から1980年までの5年間で、売上高は65.9%、生産台数は31.9%の増加があったものの、従業員数はわずか5.8%しか増えていない。つまり労働者1人当たりの生産台数は55.4台から69台に増え、売上げ高も1人当たり4400万円から7000万円に上がったという。この数値から労働強化が加速されたことが十分に分かる。当時あまりにもトヨタの働かせ方がひどいと全国的に評判になったため、地方の採用面接会場には応募者がなかったという。
1981年会社は「有給休暇の取得向上」という運動を提唱したが、その内実は、「計画的な有休取得運動」であって、「少ない人員で工場の稼働をさせようと思うと、事前に人員を把握しておかなければならない。つまり当日朝突然休む人をどうしても減らす必要があることから考え出されたものであって、決して有休を取りやすくしたものではなかった」と記事には書いてある。そしてその結果、有休取得率は増えることはなく、事前計画率のみ向上したそうである。
また増産のために愛知県に田原工場を新設したが、1980年6月から1981年5月までの間に豊田市の工場から90名近い労働者が田原工場に転出をした。しかし、従来の工場では人員補充が16名新人採用でしかなかったので、労働強化がひどくなったという。このように人員削減をしても補充をしないというのがトヨタの労務管理だった。 また工場のラインのスピードについては、ある職場では、作業者の動きをストップウォッチで時間計測するという方法をとるが、その際、動作の速い労働者の時間に合わせるようにラインのスピードを標準化し、作業基準書を作成した。結局、他の労働者は動作の一番早い人の時間に合わせることを強制され、労働強化となったという。このようにラインは1秒単位で早くなったので、労働者は仕事中トイレにいく時間的余裕も奪われた。

「大企業黒書」にはもうひとつ「豊田自動織機」の労働者が書いた記事がある。豊田自動織機は、トヨタ自動車の前身として1926年(大正15)に設立された会社であり、現在のトヨタ自動車の筆頭関連会社であり、本来の織機機械の生産の他、トヨタ自動車の組み立て、エンジン、カーエアコン、自動車電子部品など自動車関連製品の生産を行っている。本社は愛知県刈谷市豊田町にある。
トヨタのカンバン方式を採用しているが、トヨタ自工の下請けとして自動車を生産している工場の労働者は、「織機のラインで働く方が自工のラインよりもきつい」と言い、職制も「トヨタ自工から仕事をもらっているんだから自工よりもラインが遅かったら、儲からない」と言っていたそうである。例えば、1975年には1台当たり7分のラインのスピードが、1979年には1台当たり3分30秒と早くなったという。このようにラインのスピードを早くしたため、この4年間で生産台数が4倍になった。
このような労働強化によって腰痛とか頸肩腕症候群、振動病などの労働災害が増加した。この記事には腰痛に罹患した男性労働者が、会社に対して療養補償給付請求書(いわゆる労災申請書)を渡したところ、会社はその男性に対して「業務起因性はない」という書面や、「労災であると主張することは、会社と従業員の関係において誠に遺憾に思う」と書いた書面を渡したという、労災申請書は、会社が労働者から渡された場合には、そのまま労働基準監督署に提出しなければならないにもかかわらず、これを放置したどころか、労働者の請求する権利を妨害し侵害したのである。このように職場では多くの労働災害が発生しているにもかかわらず、このような会社の対応による職場の雰囲気により、労働者は労災申請することすらできない状況にあったという。

このように見てくると、トヨタが1980年以降、自動車販売台数が世界2位になり、さらにその後世界1位になった理由が分かるような気がする。まさに少数の労働者をギリギリまで低賃金で働かせたことによって生産台数を増やした結果なのであろう。

トヨタ自動車やその関連企業での職場の実態、そしてその根幹となった「トヨタシステム」というトヨタでの生産管理システムや労働管理システムについては、猿田正樹教授が、例えば1995年(平成7年)発行の「トヨタシステムと労務管理」(税務経理協会)などに詳しいので、そちらを参照して下さい。
弁護士 渥美玲子
(続く)
posted by 金山総合法律事務所 at 15:08| 重要判決

トヨタ自動車 〜その1 世界第1位〜

トヨタ自動車 〜その1 世界第1位〜
弁護士 渥美玲子

愛知県で生まれ愛知県で生活していると、嫌でも「トヨタ自動車」という企業名を目にしたり聞いたりする機会が多い。
新聞では、トヨタ自動車の自動車販売数が世界1位だとか,2位に落ちたとかいうニュースが出ていて「トヨタ」の会社名は世界的に有名であるが、2017年1月5日、トランプ大統領がツイッターで、「トヨタ自動車は米国向けのカローラを生産する工場をメキシコのバハに新設すると言っている。とんでもない。米国に工場を建設しろ、さもなくば高い関税を支払え」と、トヨタを名指しで批判したことから、さらに有名になった。そのため少しトヨタのことを調べてみた。

 トヨタ自動車工業(旧社名)の前身が豊田自動織機であることは歴史の教科書にも書いてあって余りにも有名であるが、自動車会社として設立されたのは1937年(昭和12年)8月とされている。
愛知県に豊田市という町があるが、昔は「挙母市」(ころもし)という名だった。ところが1959年(昭和34年)になって豊田自動車工業株式会社の本社が挙母町に置かれたことから、「挙母市」を「クルマの町」として成長させるという趣旨で、トヨタ自動車の創業者一族の姓をとって、「豊田市」に変えたそうである。以後、「豊田市」は「トヨタ」の「企業城下町」と呼ばれるようになり、市民の生活はトヨタに左右されるようになったという。現在では「トヨタ自動車株式会社」が正式社名であり、本社は豊田市トヨタ町にある。
トヨタ自動車工業は成長し今では世界的な規模を誇るようにもなったが、特に1973年(昭和48年)秋のオイルショックの頃から、「その後の低成長経済のなかでトヨタ自工の業績が他社に比べて相対的に良く、不況に対する抵抗力が強いことが認識されるようになった」という。そのため「トヨタの企業利益の根源はなにか」が研究対象にされた。自動車の大量生産方式としては「フォードシステム」が有名であったが、トヨタは「トヨタイズム」や「カンバン方式」という新たな大量生産方法を採用したことで一躍知れ渡った。また「ジャスト・イン・タイム」という生産工程について徹底的に無駄を省くシステムや、労働者に残業を強要する「QC(品質管理)サークル活動」なども有名であろう。このようにトヨタシステムは当然のことながら単に工場内部のことにとどまらず、労働者の働き方や生活、下請け企業の在り方などに大きな影響を及ぼしている。

ところでトヨタの工場はもちろん愛知県をはじめとして日本国内にたくさんあるが、結構昔から海外生産をしていたようで、1958年(昭和33年)にはブラジルに会社を設立し、翌年に生産を開始している。ブラジルになった理由について、トヨタのホームページをみると「豊富な天然資源に恵まれ、後進地域の中ではもっとも所得が高く将来の市場性が高いこと、戦前から日本からの移民も多く日本製品に対して好意的であることに加えて、同国が自動車国産化法を準備していたことから製造会社設立に踏み切った」と記載している。
 そして、1980年代中頃からは世界のボーダーレス化に伴い、ヨーロッパ中心に急速に拠点数が増え、2016年12月現在は、世界28ヶ国・地域に53の生産工場があり、トヨタ車の販売店は海外170ヶ国・地域にあるという。まさにグローバルな展開を見せている。

 このような世界的な販売網の展開により特にアメリカとの関係では大きなトラブルを招いていた。
 1980年(昭和55年)には日本の自動車生産は1000万台を突破しアメリカを抜いて世界一になり、トヨタの自動車の輸出も1980年に乗用車が100万台を越え、過去最高記録となったという。他方、アメリカでは、ゼネラルモーターズ(GM)社、フォードモーター社、クライスラー社のビッグ3などが軒並み赤字に転落したことで、いわゆる日米貿易摩擦が起きた。1980年6月にはアメリカ国内の失業者が急増した原因が日本車であるとの理由で、米国国際貿易委員会(ITC)に提訴し、同年8月にはフォード社も同様の訴えを起こしたそうである。この訴えについては日本車の責任ではないとの裁定がなされたが、1981年(昭和56年)1月にドナルド・レーガンが大統領に就任すると、日本政府に対し輸出の自主規制を求める声が上がり、日本製乗用車の輸入規制が始まったという。
1993年に発足したクリントン大統領政権時代にも自動車および自動車部品の分野は「日米包括協議」の重要な課題となり、交渉は長期化したものの、1995年6月には合意に達し、トヨタは、生産の「現地化の促進」と「輸入の拡大」を柱とする新国際ビジネスプランを発表し、海外生産を加速するとともに海外での販売における海外生産車の比率を1994年実績の48%から1998年には65%に引き上げることにしたという。
その後、米国での現地生産の拡充、米国市場に適合した新モデルの投入、販売網の整備など進めて販売台数は大きく上昇し、1988年の90万台強から1990年には105万台、2004年には206万台、2007年には262万台に増え、販売台数は2006年にはクライスラー社を上回り、2007年にはフォードモーター社を抜き、ゼネラルモータース社に次ぐ北米2位になった。
このようにトヨタはアメリカとの間で貿易摩擦というトラブルを持ちながらも、「グローバル企業」へと大きく成長してきたのである。
なお、トヨタの社史については、トヨタのホームページで「トヨタ自動車75年史」がアップされているので、詳細はこれをご覧頂きたい。ちなみにトヨタの社史は、西暦が主で、括弧書きで元号が記載されている。日本の裁判所の文書では、未だに元号になっていることとつい比較してしまう。

2016年世界自動車販売ランキングTOP10では次のようになっている。
10位 スズキ           288万台
 9位 プジョー・シトロエン    297万3000台
 8位 フィアット・クライスラー  461万台
7位 ホンダ   471万台
6位 フォードモーター 663万5000台
 5位 ヒュンダイ自動車グループ 776万台
 4位 ルノー・日産アライアンス 852万8000台
 3位 ゼネラルモーターズ 984万台
 2位 フォルクスワーゲングループ 993万台
1位 トヨタグループ 1015万1000台

トヨタの財政状況は,2016年3月末現在次のようになっている。
売上高   単独 11兆5858億円
連結 28兆4031億円
営業利益 単独  1兆4021億円
連結  2兆8539億円
純利益 単独  1兆8103億円
連結  2兆3126億円
純資産 単独 10兆8594億円
連結 18兆0881億円
総資産 単独 16兆1002億円
連結 47兆4275億円
従業員数 単独   7万2721人
連結  34万8877人

トヨタ自動車単独だけでも大きな収益になっているが、連結財務諸表で企業グループをみると、本当に巨大企業グループであることが分かる。
        (続く)

posted by 金山総合法律事務所 at 14:55| 重要判決

2017年04月07日

退所のお知らせ

今まで一緒に活動していた山下陽平弁護士が2017年3月末をもって当事務所を退所し、名駅総合法律事務所に移籍しました。

山下弁護士に対する今までのご厚情に感謝するとともに、今後も当事務所に対し手の変わらぬご指導・ご鞭撻をお願い致します。
posted by 金山総合法律事務所 at 13:50| スタッフより

2016年12月23日

イタリアの憲法改正の国民投票 〜その2〜

          イタリアの憲法改正の国民投票〜その2〜

レンツィ首相が提案した憲法改正案はネットで公表されており、プリントアウトしたところなんとA4版で22ページになった。私の経験では、日本語をイタリア語に翻訳するとページ数が約1,5倍になるから日本語でも15ページ位にはなる長文である。
この憲法改正法律は2016年4月18日に公布されて、12月4日に国民投票というのであるから、国民が熟知する期間としては短いのではないかとの疑問があるところではある。

イタリアの憲法の条文は全部で139条あるが、今回の改正案では、国会の章の55条から始まって、57条、59条、60条、63条、64条、66条、67条、69条、70条、71条、72条、73条、74条、75条、77条、78条、79条、80条、82条、大統領の章83条、85条、86条、88条、内閣の章94条、96条、97条、99条、州・県・コムーネの章114条、116条、117条、118条、119条、120条、122条、126条、憲法保障の章135条が改正の対象になっており、統治機構全般に及んでいた。

改正の一番大きなポイントは、立法機関の「両院制」「二院制」の変更である。

二院制は世界の多数の国で採用されており、日本でも衆議院と参議院として「二院制」が採用されているのは周知のとおりである。ただ、世界の制度を比較する上で、国民の選挙によって組織される議院は通常「下院」と呼ばれ、そうでない方を「上院」と呼ぶのが普通である。そのため、ここではイタリアについても「代議院(カメラ)」を「下院」、「元老院(セナト)」を「上院」と呼称することにする。
ところで、2院の関係については、日本では両院は対等ではなく、衆議院の優越性が認められている。例えば、憲法69条では「内閣は衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」として内閣に対する信任・不信任の決議権が衆議院のみに認められているし、憲法60条では「予算はさきに衆議院に提出しなければならない」と規定されている。また法律案については憲法59条で「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案については、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる」とされており、同様の規定は予算の議決(60条)や条約の国会承認(61条)などについても衆議院の優越的地位が認められている。

ところがイタリアの憲法には、そのような条文が存在しない。
 例えば、70条では「立法権能は両議院が共同して行使する」と規定し、また72条では「1議院で提出された法律案は、その議院規則の定めに従い、委員会で、次いで本会議で審議される。本会議は法律案を逐条採決し、最後に法律案全体の表決を行う。」というような規定がある程度である。つまり下院と上院の間で、議決結果が異なった場合の調整規定が存在しない。
 レンツィ首相は、このことを「法律案がピンポンのようにいつまでも両院の間を行ったり来たりする。このようなシステムは世界中でイタリアにしかない。」として、まさにこのシステムが政治の決定を遅らせているとし、さらに戦後70年間に政府が63回も交代するというような不安定な政治状況を作ってきたのだと主張した。そのためレンツィ首相の提案の中心は、「完全に対等な二院制」を廃止することであった。
具体的にどのような改正案を提案したのか、一部についてではあるが、見てみたい。

イタリア憲法55条
 この条文は「第2部 共和国の組織 第1章 国会 第1節 両議院」という節の最初の条文で、現行憲法では「国会は下院と上院で構成される。国会は憲法で定める場合にのみ、両議院の議員の合同会議を開く」と規定されている。
この条文についての改正案は次のとおりだった。

「・国会は下院と上院で構成される。
 ・下院での選挙手続を定めた法律は、代表者における女性と男性の間にはバランスを促進する。
・下院の各議員はイタリアの国を代表する。
・下院は、政府との信頼関係において正当な資格者であり、政治を方針付ける権限、立法権限、政府の執行を監視する権限を行使する。
・上院は地域団体を代表し、上院と共和国の憲法上の他の団体との関係において権能を果たす。憲法により定められた手続によりそれらの事柄において立法権限に参加する。さらに国家や憲法上の他の団体とヨーロッパ連合との間における連絡をとりもつ権限を行使する。形成や規則の実行、ヨーロッパ連合の政治的な実行に対する直接的な決定に参加する。公共の政治や行政の政治的な活動を評価する。その領域におけるヨーロッパ連合の政治的な影響を確認する。法律により予測された場合について政府の権限を任命することについての意見を表明することや、国の法律の実行の確認することに対して協力する。 
・国会は憲法で定める場合にのみ両議院の議員の合同会議を開く。 」

誤訳もあると思うが、それを前提にしても、上院の権限であるところの立法権が大きく制約された存在になることは明らかである。私としては、レンツィ首相は実質的な一院制を目指していたのではないかと思う。

 イタリア憲法57条
 現行憲法では、上院の選挙方法などに関する規定であり、「州を基礎として選出される。定数は315、但し、そのうち6は海外選挙区」、などと規定されている。
 ところが、改正案は「上院は、地域の代表者からなる95議席と、大統領の任命による5議席によって構成される。」などというものだった。
つまり上院の議席数315を100に減らすが、上院議員は国民による選挙を経ないということであり、まして5議席は大統領が任命することができるというのである。
このような選出方法は国会議員の通常の選出ではないと思われる。
 
イタリア憲法60条
 この条文は議員の任期に関する規定で「下院上院の任期は5年とする」とされているが、改正案では、下院のみに適用されることになり上院の議員は、除外された。

 イタリア憲法70条
 この条文は、「第2節 法律の制定」の節の最初の条文で「立法権能は両議院が共同して行使する」と規定している。
この条文の改正案は次のとおりである。
「・以下の法律については、立法権限は下院と上院によって共同して行使される。
  憲法改正法律、憲法に関連する他の法律
   言語上の少数者を保護するもの、国民投票、71条の国民審査の別の方法に関する憲法の要求する法律の策定、
   大都市とコムーネにおける組織・選挙法・地方機関及び基礎的な権限について決定する法律とコムーネの合併を形作る基礎的な支持
   ヨーロッパ連合の政治と法律を定め及び実行することについてイタリアの参加についての一般的な規則及び方法と限界を定める法律
   憲法65条第1項によって上院の被選挙権の欠格及び兼職禁止についての決定。
   そして次の法律:57条第2項、80条第2文、114条第3項、116条第3項、117条第5項及び第9項、119条第6項、120条第2項、122条第1項、132条第2項。
   それぞれの内容により、これらの法律は廃止、当該項の規範に適応された法律によって改正もしくは委任されることができる。それは新しい法律によってのみできる。
 ・以上の以外の法律は下院によって制定される。
 ・下院によって制定された各法案は直ちに上院に回付される。
  上院は10日以内に、その議員の3分の1の要求があれば、検討するかどうか決定することができる。
 ・次の30日のうちにおいて上院は法案の修正の提案を決定することができる。
  その訂正の提案について下院が確定的に決定する。もし上院は検討を始めることを決定しない場合には、もしくは決定するための期間を徒過した場合には、または下院が最終的に確定的に決定した場合には、法律は発効する。
 ・117条第4項によって策定された法律を上院が検討することは、それを受け取ってから10日以内に決定されねばならない。その法案に関しては上院の全議席の過半数によって提案された修正案に対して、下院は全議席の過半数によって最終決定により同意しないことができる。
 ・下院によって適用されたところの81条第4項の法案は上院によって検討され、下院から与えられた日から15日以内に修正案を決定することができる。
 ・上院及び下院の議長は協議の上、それぞれの議員規則に従って、権限の問題を提起することを決定する。
 ・上院は、その規則によって予想されるところに従って、下院の活動及び資料について論評することができる。 」

誤訳は間違いなくあると思うが、この70条は、現行ではたった1行であるにもかかわらず、改正案は非常に長く、意味不明な箇所も多い。私としては、どうしてこんな冗長憲法案にしたのかと疑問に思う。

以上あげた条文の他に、多くの重要な条文が改正対象とされているが、上院から立法権限を奪ったことにより、「国権の最高機関」とも言うべき立法府の権限を半減させたことは明白であろう。
 すでに述べたようにイタリアでは大統領も内閣総理大臣も選挙による民主主義的な手続を経ないのであるから、このように実質的に一院制にすることはイタリアの民主主義にとって良いことなのか、という大きな問題をもたらすのである。

実際2016年6月頃から憲法改正案については反対意見が強くなり、否決される観測がすでに出ていた。このためもあり、中道左派の民主党の一部、中道右派のベルルスコーニなど、極左、極右、5つ星運動など幅広い層から「NO」を突きつけたのであった。

 ところで、このように二院制を廃止して、実質的に一院制を採用するという憲法改正案は、実は、レンツィ首相が初めて提案したわけではない。
2006年6月には憲法改正のための国民投票が行われたが、このときの憲法改正案は、ベルルスコーニ内閣が2003年に上院に提案し、2005年に下院で可決されたときの国民投票である。ところが2006年の総選挙で中道左派のブローディが勝利して政権交代があっため、結局、国民投票では反対が61.3%を占め、否決された。
このときベルルスコーニが提案した憲法改正案は、首長公選制などの提案もあったが、その一つが完全に対等な二院制の廃止であり、立法権限や首相との信任関係は下院のみにし、上院は州などの代表者にして国と州の関連事項の審議のみにするという案だった。これによりベルルスコーニは強い政府を作ることを目的としていたのである。
10年前に中道右派のベルルスコーニ首相が提案した「完全に対等な二院制を廃止する」という憲法改正案が、その10年後に中道左派とされるレンツィ首相によって再び提案されるという政治的状況を、どのように考えるのか、悩ましい問題である。しかし反対60%という結果を見る限りイタリア国民の民主主義についての意識にはブレがなかったと言えよう。

弁護士 渥 美 玲 子
posted by 金山総合法律事務所 at 10:14| イタリアの風

2016年12月13日

イタリアの憲法改正の国民投票〜その1〜  

          イタリアの憲法改正の国民投票〜その1〜
 
2016年12月4日、イタリアで憲法改正の是非を問う国民投票が行われた。投票率は65.47%、結果は「反対」が59.11%、「賛成」が40.89%で否決された。20州の中では、トスカーナ州、エミリア州、トレンティーノ州のみが「賛成」で、それ以外の州では「反対」が過半数を制した。
首相のマッテオ・レンツィ氏は、以前から「この投票は自分に対する信任投票であるから、もし否決されたら辞任する」と公言していたこともあり、選挙結果が明らかになった12月5日に辞任を発表した。
その後のイタリアの政局や市場については新聞報道のとおりであるが、私としては、今回レンツィ首相が政治生命を賭けた憲法改正の提案内容について、少し考えてみたい。

まず、イタリア共和国憲法(以下、単にイタリア憲法という)では、改正手続は次のようになっている。なお、イタリア憲法の訳については、「解説世界憲法集」(三省堂)を参考にした。

憲法138条
「憲法改正法律及びその他の憲法的法律は各議院において少なくとも3ヶ月の期間をおいて引き続き2回の審議をもって議決される。そして第2回目の表決においては各議院の議員の過半数によって可決される。
 前項の法律はその公布後3ヶ月以内に1議院の議員の5分の1、50万人の有権者または5つの州議会からの要求があるときは、国民投票に付される。国民投票に付された法律は有効投票の過半数で可決されない限り、審議されない。
 第1項の法律が各議院の第2回目の表決において、その議院の3分の2の多数で可決されたときは、国民投票は行われない。」

 「各議院」とは、「代議院」(下院のこと、カメラと呼ばれている)と「元老院」(上院のこと、セナトと呼ばれている)の2つの議院をさす。レンツィ首相の憲法改正案は、この条文に従って手続が進み、2016年4月12日に下院で再度可決され、4月18日に憲法改正法律として公布された。その後、憲法裁判所によって、国民投票に必要な50万人の署名が有効であると認められた。
ところで、今回の投票はあくまでも憲法改正の是非を問うものであったにもかかわらず、レンツィ首相は「自分に対する信任投票だ」と位置づけたが、なぜ、その必要があるかは、日本人には少し分からないところがあったように思う。

日本の首相つまり内閣総理大臣は、日本国憲法67条で「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」と規定され、またその他の大臣については憲法68条で「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は国会議員の中なら選ばなければならない。」とされている。
 このような内閣と国会に関する制度は「議院内閣制」と言われ、「権力分立の要請にもとづいて行政権と立法権をいちおう分離したのちに、さらに民主主義の要請にもとづいて行政権を民主的にコントロールするために設けられた制度であって、ここでは自由主義の原理と民主主義の原理が交わっている。議院内閣制とは国会と内閣との関係において国会に内閣の存立を左右するほどの優位が認められ、内閣の成立と存続とが、国会の意思に依存せしめられている制度をいう」とされる(憲法T 清宮四郎)。

ところがイタリアの首相はこのような選任手続を経ない。
 イタリア憲法92条では、「大統領は内閣総理大臣を任命し、さらにその提案に基づき各大臣を任命する」と規定しているが、イタリアにおける大統領は、例えばアメリカ合衆国におけるように国民の選挙によって選任されるものではない。
 イタリア憲法83条では「大統領は国会議員の合同会議において選挙される。」と規定し、しかも大統領の被選挙権についてイタリア憲法84条では、「50歳に達し、市民権および参政権を有するすべての市民は大統領に選挙されることができる」と規定しており、国会議員であることを要件とはしていない。
大統領から任命された後については、イタリア憲法94条では「政府は両議院の信任を有しなければならない。政府は成立後10日以内に両議院に対して信任を求めなければならない。政府の提案に対する1議院または両議院の反対表決は政府の辞職の義務を伴うものではない。」との規定があるが、国会との関係は薄く、民主主義的性格は弱いものと言わなければならないだろう。
 つまり、イタリアの内閣総理大臣は、国民から選挙されることのない大統領から任命されるだけの存在なのであるから、国民の信任がないままで就任するのである。国民からみれば、国会議員を選挙で選ぶ機会が保証されているに過ぎず、その後、誰が大統領になるか、誰が内閣総理大臣になるかは、まったく関知しないところで決定されるのである。イタリア国民とすれば「レンツィ?それ誰?」という感覚なのであろう。ちなみに、レンツィ氏は2014年2月にナポリターノ大統領から任命された当時、フィレンツェ市長で、中道左派民主党の書記長だった。

さらに日本の首相とイタリアの首相とは大きな違いがある。
日本では内閣総理大臣は慣例上、衆議院議員である。衆議院議員の任期は憲法45条で「衆議院議員の任期は4年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に修了する」と規定されているから、長くても4年後には任期満了に基づく総選挙によって国民の信を問い直すことになる。また、内閣総理大臣が国政における重要課題について国民に信を問う場合には、憲法7条および69条により衆議院を解散することができるから、解散総選挙により国民の信を問うことになる。
他方、イタリアでは内閣総理大臣の任期も国会の解散権もないので、国民の信を問う機会がない。そのため行政の長として、国政の重要課題について国民の信を問う手段としては「国民投票」という方法しかない。イタリアでは頻繁に国民投票がおこなわれるが、その制度上の背景は上記のようなものと思われる。このためイタリアの国民投票制度は、「おうおうにして対立する政党間の政争や駆け引きの場になる」と言われている。
なお、国会に対して解散を求めることが可能なのは、内閣総理大臣ではなく、大統領であって、イタリア憲法88条には「大統領は、その議長の意見を聞いて、両議院またはその1議院のみを解散することができる。大統領は、その任期の最後の6ヶ月間は、前項の権能を行使することができない」と規定されている。

今回のレンツィ首相の憲法改正案には、国会の権能を弱くする提案があるが、まさにそのことが、国民の選挙による信任を得ずに首相になった者に対する不信感として表れたのではないかと思う。ただし、レンツィ首相が敗北したとはいえ、40%の支持を得たという事実も見逃すことはできないのであって、今後のイタリアの状況は予断を許さない。
                                              以 上
                            弁護士 渥 美 玲 子
posted by 金山総合法律事務所 at 12:43| イタリアの風

2016年12月01日

刑事訴訟法等の一部改正

         刑事訴訟法等の一部改正 
                   〜盗聴拡大と司法取引
                                             
 平成28年5月24日に国会で刑事訴訟法等の一部を改正する法律が成立しました。これにより、通信傍受法(盗聴法)が拡大され、司法取引の制度が導入されることになりました。

今回の改正の発端となったのは、大阪地検特捜部の証拠改ざんが発覚した厚労省村木裁判のえん罪無罪事件でこの件は当時マスコミでも大きく報道されました。
 事件後、えん罪防止の観点から捜査の在り方について見直しの必要性が指摘され、約4年の歳月をかけて改正にいたったものですが、えん罪防止の方策はごく一部に留まり、逆に、新たな捜査手法として「盗聴の拡大」や「司法取引」を導入するなど、警察・検察の「焼け太り」と批判されています。見過ごせないのは、これによって新たなえん罪を作り出しかねないという、大きな問題を含んでいることです。

 えん罪防止のためには、日弁連などがかねてから強く主張していた取調べの可視化(録音・録画)が不可欠ですが、今回の改正では、裁判員裁判対象事件と検察独自捜査事件に限定されて導入されました。これは全事件の3%に過ぎません。

 他方で、証拠収集手段を多様化するとして盗聴法の対象が拡大されました。今までは、薬物・銃器犯罪、集団密航、組織的殺人の4種類しか認められていませんでしたが、組織性が疑われる詐欺、窃盗、恐喝、逮捕監禁など9種類を追加し、比較的軽微な犯罪にまで大幅に盗聴の範囲が拡大されました。
 そもそも盗聴は、憲法で保障された通信の秘密やプライバシー保護を侵害するもので、濫用の危険性が極めて高いものです。今回の改正では、これまで盗聴の要件とされていた通信事業者の立ち合いを不要としており、濫用をチェックする歯止めが極めて不十分な仕組みになっています。

 また、司法取引も非常に問題が大きいものです。今回導入された司法取引は、自己の犯罪を申告するのではなく、他人の犯罪について供述などの協力をすることと引き換えに、不起訴や刑の軽減をするというものです。ですから、自分の罪を軽くするために他人に罪をなすりつける虚偽供述のおそれがあり、えん罪を新たに作り出す危険性をもっています。この司法取引には弁護人の同意が条件とされていますが、自分の依頼者が他人に罪をなすりつける虚偽供述をしているのかどうかまでチェックし、その可能性があれば依頼者の意に反して司法取引を拒否できるのか、弁護人としての立場を考えると、極めて疑問といわざるを得ません。

 今回の改正では、国選弁護制度を全勾留事件に拡大し、証拠開示の対象に証拠目録を追加したほか、保釈許可の考慮要素(逃亡や罪証隠滅のおそれの程度、被告人の健康上・経済上・社会生活上・防御の準備上の不利益の程度)を明文化するなど、被疑者・被告人の防御権に配慮した内容も盛り込まれています。しかし、それにもまして、盗聴法の拡大と司法取引の導入は、大きな問題をはらんでいるといわなければなりません。
                   弁護士 山 下 陽 平
posted by 金山総合法律事務所 at 15:19| 法改正

2016年11月11日

日本は111位

          日本は111位

2016年10月26日、世界経済フォ−ラム(WEF)が「国際男女格差レポート2016」でジェンダーギャップ指数を発表しました。
丁度3年前に「日本は105位」ということで書きましたが、ランキングが上昇するどころか、6つも下がったのです。なんということでしょうか、
つまり、2016年、日本は144ヶ国中111位でした。

上位10位を見ると、1位アイスランド、2位フィンランド、3位ノルウェイ、4位スウェーデン、5位ルワンダ、6位アイルランド、7位フィリピン、8位スロベニア、9位ニュージーランド、10位ニカラグアで、北欧諸国が上位にランキングされています。
2016年5月に伊勢志摩サミットに集まったG7で見てみますと、ドイツ13位、 フランス17位、イギリス20位、カナダ36位、アメリカ45位、イタリア50位となっています。G7の中で日本は最低、しかも100位以下という悲惨な状況ですから、G7の仲間に入る資格はないと言えそうです。
 日本の順位を経年的にみると、2006年80位、2007年91位、2008年98位、2009年101位、2010年94位、2011年98位、2012年101位、2013年105位、2014年104位、2015年101位、そして2016年は111位という最悪の順位になりました。つまり日本の女性の地位は良くなっているどころか、悪くなっているのです。
つまり日本の男女格差の状況は、世界的比較で見ても、また経年的にみても最悪な状況になりました。

この指数は、男女格差が存在する4つの分野(経済活動の参加と機会Economic Partipation and Opportunity、教育Educational Attainment、健康と生存Health and survival、政治的影響力Political Empowerment)において男性と女性の格差をそれぞれ各国毎に分析したものです。
2016年の日本の総合ランクは111位ですが、経済活動の分野では118位、教育の分野では76位、健康と生存の分野では40位、政治的影響力の分野では103位でした。
この4つの分野にはさらに14項目の指標があります。経済の分野では「推定勤労所得Estimated earned income」が100位、「議員・政府高官・経営者Legislators,senior officials and managers」が113位、「専門的技術的労働者professional and tecnical workers」が101位、教育の分野では「高等教育Enrolment in tertiary education」が108位、政治の分野では「国会議員女性割合Woman in parlament」が122位という状況でした。
特に最低ランクの「国会議員女性割合」について平成28年の内閣府の発表によれば、平成27年12月末現在、衆議院では9.5%(45人)、参議院では15,7%(38人)という低さでした。また国家公務員の女性割合は本省課室長相当職が3.5%、指定職相当が3%、となっています。これでは女性の意見が政治に反映されないのは当然のことでしょう。

 このような日本の状況に比べてイタリアの状況は素晴らしいものです。2006年のランキングは77位と、日本の80位とほとんど同じだったのに、2016年にはなんと50位まで上昇しています。
 イタリアの2016年の4つの分野をみると、経済活動の分野では117位、教育の分野では56位、健康と生存の分野では72位、政治の分野では25位です。
経済活動の分野では日本は118位ですから、イタリアでもほぼ同じように男女格差があるといえますが、政治の分野では日本の103位と比べるとイタリアは日本より80ランクも上です。特に政治の分野では、イタリアは国会議員女性割合は39位、大臣女性割合は10位という高位にあります。
なお、2015年のIPU版(列国会議同盟)の「国会の女性割合ランキング」では、189ヶ国中、イタリアは38位で30.109%(286人)であるのに対して、日本は147位で11.60%(83人)という統計があります。

このように世界ランキングを検討することによて、どのような法律や制度にしたら良いのか、どのような慣習を変えるべきなのか、次第に分かってきますね。    弁護士 渥美玲子
posted by 金山総合法律事務所 at 13:13| 両性の平等